試合胴 投稿日:2016年6月13日(月)19時54分00秒
今年のインターハイ予選から、皆様から寄付いただいた試合胴を着装しての、公式試合となりました。
お陰でチームとしての一体感が増しました。応援していて、誠に喜ばしい限りです。
でも、ただそれだけの事で良いのでしょうか?
ある強豪校でインターハイ出場経験のある友人によれば、
「自分には、あこがれるすばらしい剣道をする人がいて、その人が卒業した学校に頑張って入った。
初めてレギュラーに成って、伝統のある防具を着けて試合をしたとき、
自分が目標とする、その人の風格と一体になった気になった。
試合中、目標とする人のイメージが体を動かしてくれて、強敵に打ち勝った。」
試合胴は代々引き継がれます。
剣道でも、剣道以外でも実績を出して活躍している先輩の事を知ったら、
後輩はそれを目標に目指して、頑張れます。
この試合胴の本当の値打ちはデザインや造りではなく、
この胴を着けた選手の今後の活躍が、次に続く後輩のあこがれの目標になる。
この胴の値打ちがどうかは、この胴を着けた選手のこれからの活躍が決める。
その意味でも、今回試合胴を着けて臨んだ、優勝候補のPL学園との対戦で、1対1の分けから代表戦にまで持ち込んで
試合会場内の注目を集めた事は、次に試合胴を着けて試合をする後輩に、大きな希望と勇気を与えた。
試合胴お披露目の試合を、高校剣道の最後の公式戦として戦った3年生諸君、良い試合を誠にありがとう。
継続 投稿日:2015年3月25日(水)17時40分00秒
「継続は力なり」とよく言われていますが、その言葉に続きがあって、
つまり、「継続は力なり、愛は持続なり」と成ります。
華道池ノ坊の御家元のお話で、その様に伺いました。
長年、なぜ続けてこれたのか、そう考えると、この言葉に突き当たります。
愛は持続なりの愛という言葉には、色々な要素が含まれていますが、例えば、
好きこそものの上手なれ、好きだったからやめなかった。好きと言う事。とか
一生懸命やっているの知ってて、応援してくれる人がいる、周りの愛に支えられた。とか
もうダメとしたが、それを許し、次の努力に励む、寛容な愛があった。等々
弟子と師匠両面の立場で、色々な場面想定が他にもあると思います。
この様に、愛と言われても、人それぞれ、指導や、体験による、心の持ちようなので、
何が愛かは、各人によって微妙な違いが有ります。
そのことに早く気づき、良い経験が出来る、良い環境は何か、
良い環境はどこか、自らが寄っていくしかない様です。
さて、35年剣道部の顧問を務められた、松本先生が、定年退職されました。
全く剣道の経験が無くて、顧問を引き受けられたので、
色々辛い面も、あったと思いますが、
愛を持って、我慢していただいたに、違いないと、感謝しています。
目的と目標 投稿日:2014年6月30日(月)20時40分00秒
わかっていることとは思いますが、クラブ活動は、遊びではなく、学校教育の一環として行われています。
その為、一中、一高剣道部もそれに従い、部の目的は昔から「剣の理法を持って人を育てる」となっています。
部の目標の方は、その目的を果たすために設けられますが、
その年代の力量に合わせ、顧問や先輩や3年生や父兄が決めていました。
私が生徒の時は、一高は大阪府下ベスト8、一中は地区予選突破府下大会出場でした。
先輩諸氏が初心者から始め、3年間で過去に到達した最高成績が、私の年代の目標だったかと思います。
本気に成って稽古し、皆がその気にならないと、とても到達しないレベルでした。
実際、その目標の手前のレベルまでで負けて、引退するとき涙するのですが・・・・。
でもその様に、目標に達しなくても、最後まで目標に向かってがんばりきった自分があったとしたら、
目的である、人として育つと言うことは、大きく達成したかと思います。
さて今年も、インターハイの大阪府予選が6月15日に終わり、高校3年生部員は、引退していきました。
大会終了時に涙であったり、笑顔であったり、各自のそれぞれの思いが現れる瞬間でありました。
次を引き継ぐ2年生諸君、自分たちの目標を掲げ、それに向かって稽古し、
その結果、目的である、人として大きく育つ事を期待します。
ゴール 投稿日:2013年12月25日(水)19時19分00秒
世の中、成功する人がいますが、どうすれば成功するのでしょうか?
それは、「成功するまで、止めずに、やり続ける事」だそうです。
もっとうまい方法を、そっと期待していましたか・・・・?。
では、なぜ人は成功する前に、止めてしまうのでしょうか?
それは、「自分が幸せと感じる最終的なゴールや、ステップごとのゴールを、明確に定めていない」からです。
そのゴールを定めていないと、その時その時の結果に、一喜一憂するだけで、
やがて、見透しのない、果てしのなく続く大変さに、我慢してやる意味が分からなくなって、止めてしまいます。
しかし、満足のいくゴールが定まっていたら、そのゴールに近づいていると感じるだけで、
又は、近づく為の課題が分かっただけで、人はしんどさに負けず、頑張って、
何とか持ちこたえ、やり続けることが出来ます。
しかし、「ゴールを定めよ」と言われても、遙か先のゴールは、なかなか想像つきにくいものです。
例えば、入学した時に、どういう形で卒業したいかと聞かれても、なかなか具体的に答えにくいものです。
でも実は、遙か先のゴールの、自分の姿を、実感するのにうまい方法はあります。
それは、自分よりずっと先にスタートしてゴールした人を見るのが、一番早く実感出来ます。
先行者、つまり、先輩がどういう姿でゴールしたかを、見るのが一番です。
先輩達は、何をどれだけやって、どういうゴールにたどり着いたか・・・。
そして、自分は、それらの、どのゴールに、たどり着けたら、一番幸せと感じれるか・・・
これを先輩のゴールを参考に、実感出来れば、自分が幸せと感じるゴールは、自ずと設定出来ます。
本年も、12月23日の大阪府私立中学校剣道大会をもって、9人の中学三年部員が、引退して行きました。
多分、各人各様のゴールがあったと思います。
一昨年、昨年と先輩のゴールを見て思った事と、
今年、自分達がそのゴールに立って、実際感じた事と、どうだったでしょうか?
おそらく、満足のいく点、及ばなかった点、双方あったと思います。
それらの事が、次のゴールに向かう時の、各自の大きな力と成って、
やがて幸せなゴールにつながる事を、祈念いたします。
気位 投稿日:2013年8月20日(火)19時18分00秒
剣道では「気位」(きぐらい)と言う言葉が出てきます。
私が最初に耳にしたのは、剣道を始めた中学1年の夏合宿でした。
合宿に鬼のように怖いOBが来て、「自己の限界に挑戦して、気位を上げよ」と、気合いを入れられた時です。
以前にも(2007年夏稽古の所で)書きましたが、私はその時、挑戦するまでもなく稽古バテして、
自身の限界を知ったことで、その限界以下までのしんどさなら、大丈夫とわかり、
それ以降のしんどい事は、大抵それ以下だったので、多少きつくても、まだ行けると踏ん張れ、
躊躇(ちゅうちょ)無くガマンできる自信が、その後つきました。
一般的には、鍛錬によって自信がつくと、表情や態度に出てきて、周りは、威力や威風を感じる様に成ります。
剣道では、この鍛錬による自信から来る雰囲気を「気位」と言う様です。
例えば、「先の気位」と言うと、
今までの稽古鍛錬をもってしたら、
自分が先に行動を起こしても、今の状況なら大丈夫、の自信があるので、
相手より先に行動を起こす不安も躊躇も感じていないのではと、周りが思う様な、威風や威力、とでも言えるでしょうか。
ですから、その先輩は、
「この合宿で思いっきり頑張り、自信をつけて、周りに立派に成ったと感じられる様に成って、恩返しをせよ」
と言いたかったのだと思います。
さて今年も、現役生徒の夏合宿は、猛暑のもと行われましが、近年は熱中症が心配されており、
24歳剣道四段の先生が、生徒と同じ練習メニューを実行し、
無理さ加減をチェックしての、限界への挑戦と成り、無事終了しました。
先生、お疲れさまです。誠にありがとうございました。
差 投稿日:2013年7月28日(日)22時28分00秒
勝敗を争うと、強い弱いが生じます。
実生活でも収入の多い人、少ない人が生じ、その差は何万倍にも達します。
この差とは、何によって生じるのか? 能力の差でしょうか?
では、人の能力の差は何万倍もあるのでしょうか?
走ることで見ると、オリンピック選手は100メートル10秒かかりませんが、一般人は20秒までで走ります。
その差は2倍程度です。
でも、メダリストとそうでない人では、実際には雲泥の差になってしまいます。
では、能力の差だけでないとすれば、努力の差でしょうか、才能の差でしょうか?
実は、ほとんどの場合、やり方の差なのです。
実社会は、やり方の差で勝負がつく場合が多いです。
技術がなかった国でも、先進国のやり方や装置を導入すれば、
瞬く間に追いついてしまいます。
では剣道の場合、よいやり方はどうすれば分かるのでしょうか?
それは、勝った人、優勝した人のやり方を見て、まねてみれば分かります。
6,7月は剣道大会が多く、私も現役の応援に行きました。
自分の試合が終わったと言って、遊んでいる人を見受けましたが、もったいない話です。
勝ち残った人を、よく見て、良いやり方は何か、学びましょう。
追記
やり方をまねていれば、その内、どういう考え方で、その様なやり方に成ったか、分かってきます。
その考え方が分かれば、その後独自の、より進んだやり方を、自分自身が編み出せる様に成ります。
自治 投稿日:2013年1月11日(金)20時10分00秒
関大の理念の一つに「自治の訓練」が有ります。
その為か、剣道部は昔から、部員による自主運営が基本でした。
顧問の先生の仕事は、事故の防止と部員のやる気を沸き立たせることでした。
よって剣道部に、良い生徒が集まった年代は強く、顧問の先生は中央大会までお付合いとなるが、鼻高々です。
では、強い時の生徒とは、どんな生徒でしょうか。それは、
自分は今、どのレベルなのか知っていて、又
ある結果を残すまでには、どの程度がんばらねばならないか分かっている、
そして、それをやる大変さも分かっている、でもそれに平然と取り組む生徒です。
なぜその様な生徒になるかと言えば、多くの場合、
先輩の体験を見てそう悟ったか、体験を聞いて、自分もその様に、成りたいと思えたからです。
又は、受験などで、以前その様な経験をしたかです。
さて、今年の中学三年生も、12月末の大阪府私学中学校剣道大会後、引退して行きました。
男女併せて15人と例年になく多人数で、個性豊かでした。
彼ら自ら1年間、クラブを自主運営してみて、出た結果が、
3年生同期15人の総合的な力量を示しています。
自慢する点、反省する点、どうだったでしょうか?
私も生徒の時、自分たちの運営の評価を受けた時、責任者の自分を現実として、初めて自覚しました。
先輩や周りから色々評価されて、知らんかった、分からんかった、考えが及ばなかったと、切なく思った記憶があります。
今から考えると、そこでの自覚が、責任者として、計画し実行し評価を受けると言う、自立への貴重な経験の一つになったと思います。
この三年生が、今までの経験を踏まえ、高校生になっても、
所属したクラブで、よりよく自治を達成することを祈念します。
学歌 投稿日:2012年9月7日(金)20時15分00秒
関大一中に入学して、最初に好きになったのが学歌だった。
中学、高校の校歌以外に、大学の校歌を「学歌」と言って応援歌と共に習った。
とてもメロディーがきれいで合唱しやすく、新入生は皆好きになった。
ちなみに、学歌には、関大の、建学と教育の精神が、歌い込まれています。
昔もらったパンフレットでは、関大の建学精神は「自由の尊重」で、教育精神は「学の実化」です。
江戸時代の大阪は商人の町で、幕府に頼らず、
自らの才覚を信じ、自由闊達な活動を求める、自治の気概があった。
明治に入り、その自治と、才覚の自由な発揮の尊重を、主とするため、
帝国憲法発布前の、明治19年に、関西の裁判官の有志と自由民権家が、関大の前身の関西法律学校を設立した。
この様に、関大の建学精神には「自由の尊重」があり、学歌の三番に歌われています。
又、明治期、欧米より実力の無い日本は、欧米から各種の権利の自由を奪われていた。
現在においても、実社会では実力がないと、自由を認めてもらったり、その自由を守る事も難しい。
よって関大では、学んで実力をつけ、実行し実績を示す事によって、世間の認知をえて、
自由闊達な才覚の発揮に至る人を輩出する。口だけでなく、実力で示す人を育てる。
これが、関大の教育の精神であって、「学の実化(じつげ)」として、学歌の二番に歌われています。
関大には、建学時も現在も、バックに、宗教も、政財界の偉人も、役所も、有りません。
関大のバックに有るのは、自己の才覚で勝負した昔からの、大阪人の気概や文化であって、
権限や地位や身分や財力やコネなどではありませんでした。
学歌を歌う時、いつまでも、この関西圏の自然と長い歴史と人々の親和に育まれた
関西大学であり続けて欲しいと思っています。
機を見る 投稿日:2012年1月20日(金)0時12分00秒
人生、機をうまく見るかどうかで、大きく変化します。
同じ事でも闇雲にやって、うまくいくはず有りません。
まあ、いちいち言われなくても解っていることですが・・・。
では、うまく機を見るには、どうしたらよいのでしょうか?
それは、機を測り、機を作り、機を捉える事をすればよいとされています。
剣道ではよく「機を見て打突する」といいます。
この時の機とは、打ち込む機会の事で、
打ち込む機会でない時に打ち込んでいっても、相手にかわされ、反撃を食らいます。
打ち込む機会は、どの本にも書いてあるので、それなりに理解出来ますが、
本当に難しいのは、一瞬の機会を、捉えられるかどうかです。
例えば、川を渡る機会は、水が少なくなった時ですが、
変化する水量が、川を渡れる程度に、いつ成るかは、神のみぞ知るで結局、機が来ず待ち惚けも有ります。
また、最適な機会は、過ぎ去った後で気がつく場合が多く、捉え損ねる羽目になります。
そこで、いつ来るか不確実な機会を待つのではなく、機会が来る様に、仕掛けて行く事になります。
仕掛けた本人は、いつ機会が来るか予測しやすくなり、機会を捉えるのに有利です。
例えば、流れに石を入れて、堰きを造って、水量が減少する機会を仕掛け、予測した通りになった時、川を渡ります。
それで、剣道では、当然、機会を作る稽古をします。それは懸かっていく稽古と言います。
常に自分が懸かっていく事で、一瞬の機会が増え、又、何時その機会に成るか、予測しやすく、捉えやすくなります。
でも、懸かっていく稽古は、しんどいので、やりたがらない生徒が多いのが残念です。
その中でも、頭のよい子ほど、機を見るのが自然に出来るので、強くなる子が多いです。
と言うか、上手に仕掛けようとして、頭を使うので、頭のよい子になるのか・・・・?
つまり、「機を見る」には、常に機会の熟し度合いを測ると言う意味以外に、
以下の部分が控えているのです。
機会の塾度が増す方向に仕掛けて、最も熟す機会を予測し、その瞬間を捉える。
又は、機会の回数が増える方向に仕掛けて、その瞬間を捉える頻度を増やす。
中学生諸君、いつ打つべきか分からんとか、打たれるのが嫌とかで、
打たなかったり、かわしたり、受けたりの稽古では上達しません。
まづ充実した気勢を造り、気剣体で中心線を一瞬で奪う懸かりを行い、
目を見て相手の気持ちを測り、思いっきり打ち込む。
この懸かって打つことで、相手の気持ちや反応が読め、打突の機会が予測できるのです。
さあ、大きな声を出して、充実した気勢の発揮から始めましょう。
本年度も、関大への併設校生向試験や、共通一次試験が終わったりで、高校三年生は、実質的には卒業していきました。
国公立や他の私学を目指す生徒が、合格の機会を測り、最後まで仕掛けて、合格の機会を捉えるよう、祈念いたします。
習慣 投稿日:2011年9月30日(金)12時35分00秒
良い結果を得るには、その為の行動が必要です。
例えば、勝利を得るには、自分の欠点を補う稽古や、得意を伸ばす行動が必要です。
では、その為の懸命な稽古の行動を、自分が取るかどうかですが、
その人がその行動を取るかどうかは、何が決め手と成っているのでしょうか?
それは、何かと言うと、自分の感情によります。
しんどいという気持ち、出来ないという気持ち、解らないという気持ち。
つまり、やりたい、やりたくないと言う感情です。
では、感情はどこから湧いてくるのでしょうか?
それは、感情は学習に基づく、思考により発生します。
色々学習して、思考の結果、しんどいに違いない、出来ないかもとの、色々な感情が生まれます。
では、学習して、そう思ってしまうという、思考道筋は何から出来上がるのか?
それは、習慣です。
片付けるのが当たり前になっている人は、片付けが出来ないとか、しんどいとかの思考には成りません。
挨拶をするのが、当たり前になっている人は、自然と声が出ます。面倒くさいとの思考にはなりません。
このように、習慣が思考道筋を決めるのです。
つまりは、良い習慣が巡り巡って、良い結果を生むのです。
では良いと解っている習慣がなぜ身につかないのか?
最初大きな声で練習していた1年生が夏以降、小声の稽古になりつつあったので注意しました。
つまり、ある指導者や先輩が声を出さないと、その人の習慣に引っ張られるのです。
ただただ、周りの習慣や、以前の習慣から、離れるのが難しいだけなのです。
みんながそれをする、初めからそれをする。これが習慣には大切なのです。
この様に習慣の大切さ知っている、守っている伝統校の強みとは、そういう事なのです。
研究 投稿日:2011年7月29(金)20時03分00秒
どんな世界でも、立派な理想的な指導者に巡り会う事は、滅多にありません。
しかし、それに近い人は、誰にでも、1人います。
その人は、実は、自分自身の中に居るのです。
何が理想的かは、各自によって違いますが、例えば
「何事にもうまく興味を持たせてくれて、その点を各自が喜々として調べ、勉強させて、見守ってくれ、
ブレてくると指摘して、わからない時はヒントくれ、
飽きてきたら、興味持たせるアドバイス、そして決してあきらめさせない。」
そんな人を理想とするなら、そう理想を望んだ時点で、自分自身がそうすればいいのです。
実際は、理想通りには行きませんが、近づく事は出来ます。
社会に出たら、教師すらいません。
すぐ答えを、教えて欲しいものですが、
自分自身の事を、他人が研究して、教えてくれる事は、実社会ではめったにありません。
自分で研究して、自分で考えて、問題点を解決して、自分自身が自分の指導者に、
成って行くしかないのです。
研究なくして勝利なし。
礼楽 投稿日:2011年6月22(水)19時32分00秒
今年も昨年同様、10数人の新入生の入部があり、ありがたい事に、中高合わせ50人近くになりました。
人数が多くなると、まとまりに欠けるのではないかと、心配の向きも、あろうかと思います。
武道では、まとまりを取る基本は、「礼楽」とされています。
そういえば、昔、関大一中の漢文か道徳の時に、説明を受けた気がする。
一人ではなく、多くのものと関わり合って、生きていく時の、基本と成る考え方の一つであると。
武道は、礼に始まり、礼に終わると、言われています。
では、礼とは何でしょうか。ただ頭を下げる事でしょうか。
昔々の孔子によれば、「人は元々、それぞれ個性があり、違いがあるものである。
自分と違うから、けしからんとか、気に入らん、ではなく、違いがあると言う事を相互に認め、尊重する事が大切である。
違いを認め、尊重するもの同士の取る態度が、礼と成って表れるのである。」
この様に「礼」とは、平等同等からではなく、各自の固有特徴の差異を、認め、尊重しあう事から始まるのである。
では楽とは何でしょうか。
音楽好きの孔子は、「曲を演奏すると言う、共通使命の元に奏でられた、太鼓、笛など、異なる楽器間の調和された音に、我を忘れ聞き入った。
そして、人もこうでなくてはならない。各自の得意特徴をよく調和して、幸せの曲をなす。」
この様に「楽」とは、相互に共感出来る事を大義とし、それに向かって、相異なる部分を、うまく和する事から始まるのである。
よって、「礼楽」とは、
礼で各自が違いを認識し、楽で共通使命を見いだし、それに向かって各自の得意を和して、全体相互の幸せを目指すと言う考え方です。
何はともあれ、剣道部員達が、
部活での、関わり合いの中で、自他との違いを認識し、許容して、何を皆との共通となし、どう調和すべきか、
それらを、各自が試行錯誤し、体験で、学んでいてくれればと、期待して見て居ます。
ありがたい 投稿日:2011年4月28(火)20時12分00秒
「ありがたい」の反対の言葉は何でしょうか?
ありがたくない? 迷惑?・・・・・でしょうか。
3月の東日本大震災の被災者の方が涙をこらえながら、
「初めて、ありがたいの反対の言葉が、わかった。」とおっしゃっていました。
「あたりまえ、だったんですね」と。
「有って、あたりまえ、と思っていた。水も、食料も、テレビも、家も、家族も、道までも・・・。
でも、それらは、一瞬に津波に流され、無くなってしまった。
そして残ったのは、ひもじさと寒さで、心細さだけ・・・。
やがて、何もかも無くなって、もうだめかもしれん!あきらめかけていると、
自衛隊の人が水とおにぎりと毛布を届けてくれた。
命をつなぐ、水とおにぎりを手にとって、助かった、ありがたいと思った。
今まで、水やおにぎりに、ありがたいなど言った事がなかった。
こんなに、ありがたいと思うのに、なぜ日頃から言えなかったのか
それは、水て、有ってあたり前。
そんな思いが今まで、ありがたさを感じさせなかったのでは、とつくづく思った」と。
「水やおにぎりだけでなく、家族や友人も、有ってあたり前と思っていた。
だから、日頃から、ありがとうなど言えなかった。
無くして、初めてありがたさがわかった。
なくす前に、居てありがとうと言いたかった」と。
この言葉を聞いて、
私は、本当に、多くのものに支えられて、生きていることを実感し、そして
日頃から何事にも、感謝の気持ちで接しなければと、改めて感じました。
東日本大震災でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りし、被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます。
勘 投稿日:2011年2月22日(火)22時22分11秒
どの世界でも、
「教えなくても出来る子」、「教えたら出来る子」、「教えてもいつまで経っても出来ない子」、に分かれます。
なぜその様に成るのでしょうか?
天性の才能だけの、せいでしょうか?
剣道の指導のお手伝いを、十数年させていただいて、わかった事は、
それは「勘」の働きが、圧倒的に影響していると言うことです。
「教えなくても出来る子」は、
師範の動きを見ただけで、すぐ勘が働く様で、どうやっているのかのすぐわかり、
体が反応して短時間に出来るように成ります。
「教えたら出来る様になる子」は、
教えられた形や方法を、何度も繰り返すうち、徐々に勘が働いて、ふと気付き体が反応し、
あれっと、出来るように成ります。
「教えてもいつまで経っても出来ない子」は、
教えられた形や方法を、何度も繰り返しても、勘が働かず、体が反応しないのか、うまく出来ません。
なぜその子は,勘が働かないのでしょうか?
そういう子は、自分の動きを覚えていません。うまい人の動きも頭に残っていません。
つまり、そういう子は、情景として剣道の動きが、記憶に残っていないのです。
先ほど面を打っただろ、と言っても、さあそやっったかなあ?
うまい人は、こうしてただろ、と言っても、あ!忘れてた・・。
あなたの、こういう動きはよい、こういう動きは悪い、と言っても、自分がどんな動きをしたか、本人は記憶がありません。
自分の動きがどうなっているのか、他とどう違うか意識がないのです。
勘は、うまい人の動きを情景に残し、自分の動きをある程度自覚していないと、うまく働かない様です。
つまり、「不向きの分野」は、それらの動作の記憶が、飛びやすく残りにくいので、勘も働かないと言う事です。
でも、稽古終了後、反省して動作を思い出し、気づいた事をメモする努力や、
稽古始まる前に、ノートを見て反省点を思い出す工夫等の自覚を持てば、情景が記憶が残り、
繰り返し同じ動作を、稽古する内、勘が働いてきて、前との違いに気づき、
ふと出来る様に成ります。
実際、世の中「自分は、向いていない」と思う事ばかりです。
「向いてない」と、なげく前に、
自分はうまい人と、どこが違うのか、そこさえ心に、前向きにとらえて、繰り返し稽古していれば、
勘が働き、出来る様に成る場合が、ほとんどです。
一高3年生剣道部員諸君、卒業おめでとう。「人生・・向き、不向より・・、 前向き!! 」
環境 投稿日:2010年9月25日(土)12時30分00秒
強くはなりたいが、しんどいことは嫌。
どうもこの頃の子は、強くなる秘訣さえ聞けば、強くなると思っているらしい。
他人が自分に良いことをしてくれるのを待つ、社会依存症候群、過保護、甘ちゃん、社会主義化。
年々ひどくなる。
才能は生まれつきではなく、置かれた環境の中で育っていく。
強い環境の中で育てば、強くなり、弱い環境の中で育てば、弱くなる。
強いと思われる子も、調べてみれば、生まれながらではなく、そのような環境に育ったとわかる。
強い環境の1つに、鍛えることによって得る何にかを、身近に感じる環境があります。
強い環境にあった子は、鍛えることによって、能力が生まれる事を経験的に知っている。
人間の生命は鍛えることによって、本来の姿を現し、能力を生む。
鍛えるしんどさから逃げれば、能力は生まれない。
能力が生まれたら、休みなく鍛錬することで、より高い能力となり、
しんどい鍛錬を経た精神は、超越し高貴な魂へと昇華していく。
昇華した精神は、剣道以外でも、どんな分野でも通じる能力となる。
よって強い環境に育った子は、立派な人になり得る。
鍛えるしんどさから逃げる愚かさを、子供達に是非わかってもらいたい。
そして、強くなる環境は何かを、知って欲しい。
親の権威 投稿日:2010年8月31日(火)8時00分00秒
私の両親は結婚した時、「人前で互いの悪口は言わない」と取り決めたとの事です。
文句があったら、子供が寝てから、互いに直接言う。
文句を、子供や他人の前で言っても幸せになれない、との理由です。
子供の前で、母親は父親の良い所しか言わず、父親も母親の良い所しか言わない。
よって、子供の頃我が家では、常に父はえらい人、母は賢く、優しい人と決まっていました。
大学生になってから、母からそう取り決めたと聞かされました。
「あなたも、社会に出たら、その人の子供の前で、その人の悪い所を言ってはいけない。
親の権威が傷つくから。社会にとって決してよい事にならないから。」と言われました。
完璧な人はいないので、マスコミや情報の発達した現代、権威は、いとも簡単に壊れます。
悪い所は気がついても、人前で言わずに、そっと本人に言い添える。
日本人の良き、気遣いの伝統だと思います。
大人の責任を果たそうとしたら、大人みんなでその権威を支えない限り、
子供はよき手本を失い、放浪する事となるでしょう。
今日は母親の命日ですので、母親の思い出を書き込みました。
号令 投稿日:2010年6月10日(木)19時53分00秒
5月の中間試験開け頃に、新入中学生男女18人の入部がありました。
10年ぶりの盛況に、異常気象の影響かと、とんちんかんな感想まで出る始末です。
さて6月に入り、新入中学部員も慣れてきたので、
新入部員から代表を選んで稽古の号令をさせたところ、だれもまともに出来ない。
号令と言うより、しゃべりかけてるという感じ。勝手気ままに始まってしまう。
代表の号令の元、気を合わせて、力を発揮するという経験がないようだ。
災害の時、大丈夫かと、心配してしまいます。
「今から○○をします。一年生、集合。」と目的、対象者、行動動詞をはっきりと大きな声で言う。
説明後、一人一人、順番に号令役になって、稽古を再開。
それぞれが、号令を担当して、号令を出す側の気持ちがわかると、気の利く子は、率先して素早く動いてくれる上、
動作が弱かった子も、気力が出ていなかった子も、号令でみんなと気が合うと、乗ってパワーアップしてくる。
はて、近頃の小学生は、号令役を、経験させてもらっていないのかナ・・・?。
紳士、淑女 投稿日:2010年3月23日(火)19時34分07秒
私が在校中は、校長がよく朝礼の訓示で、「一中生、一高生、紳士たれ」と言っていました。
共学になった今では、紳士、淑女と言うべきか・・・・・?
米国では呼びかけるのに、「レディース アンド ジェントルマン (紳士、淑女の皆様)」と言います。
レディース アンド ジェントルマン とは、男女の一人前の大人の事です。
子供は対象外と言うわけです。
米国で一人前の大人とは、物事がきちっと出来て強く、頼りがいがあるほど優しい人です。
「強くなければ生きてゆけない、しかし、優しくなければ生きている値打ちがない」と言う認識が西部劇をみてもわかると思います。
彼らの言う優しさとは、自分さえよければではなく、他人の幸せも考えることが出来る事です。
なにしろ、最初に清教徒が開拓した国ですから・・・。
不正義があれば、他人の事でも怒り、手を差しのべるのです。
日本で言えば「情けは人のためならず」です。
「他人が困っているときに手をさしのべるのは、他人のためだけではなく、自分のためでもある」と言う信念です。
子供はこの部分が理解できません。
手助けをしたときに得られる、絆や信頼や希望や自信が、団結力となり、他人が動いてくれる原動力となる。
人は一人では弱いと言うことです。うまくまとまれば強いのです。
よって、強くあるためにも、優しさが必要と言うわけです。でも、甘えた人は、見放されますが・・。
つまり、強くて、優しいのが、一人前の人で、男女それぞれが、紳士、淑女と呼ばれているのです。
さて、今年も3年生の部員が卒業していったそうです。
私にとっては、立派なレディース アンド ジェントルマンです。
大久保顧問、3月22日の結婚式、おめでとうございました。
末永い、お幸せをお祈り申し上げます。
がんばれ 投稿日:2009年9月9日(水)19時09分00秒
部員に、普段はなかなか聞いてもらえないアドバイスも、試合に負けた後は、相手より劣った所、足りない所に気が付いて、どう稽古すれば克服できるか、真剣にアドバイスを聞いてもらえます。
こちらは、一人一人に注意点を言って、その克服の為の稽古方法を1回一緒にやって指導しますが、
部員にとって、完全に出来るようになるまで、自分でその稽古を繰り返しやり続けるのは大変しんどいです。
へこたれそうになるのを、その部員の横について、目を光らせて叱咤激励する怖い先輩は、今の時代いません。
居るのは、しんどい稽古を、同じようにしている、仲間だけです。
よって、しんどい稽古をやりきるかどうかは本人次第となります。本人のやりきる意地が頼りです。
やってうまくなるか、しんどさに負けて下手なままでいるかは、結局、本人の自由しだいです。
指導の後、私に出来る事は、「しんどいよ、でも頑張って、うまくなろう」と、エールを送るだけです。
しんどさに負けずに、うまくなりたいとの願いや意地を、最後まで張り続けてねと、願うのみです。
吹田市長杯 投稿日:2009年8月23日(日)23時50分00秒
吹田市長杯剣道大会は吹田であれば、誰でも出場できるので、
レギュラーに成れなかった部員の、唯一の、大会試合出場の機会です。
特に、上級生や同期生が多かった年代の時は、この市長杯以外には、出たことがなく引退する部員が発生します。
関大一中3年生の場合、引退は、12月末の冬の大阪府私立中学剣道大会終了後となるのですが、
その選手枠に入れなかった3年生は、秋のこの市長杯が剣道最後の大会となって、剣を置く人が多いです。
今までその中学生で、特に一番印象に残っているのが、平成15年の秋の市長杯を剣道最後の試合としたS君です。
彼はひ弱な体格で、覇気もなく、同期で一番下手で、当然補欠にも入れなかった。
市長杯の試合当日、彼の母親が彼と一緒に「息子が、お世話頂きまして」と挨拶に来られた。どうも、
彼は、入部以来3年間、一度も家族に彼の剣道を見せた事がなかったので、最後に母親に来てもよいと言ったらしい。
試合が始まると、彼の変貌に、我々一同びっくりした。
今までの、覇気もなくひ弱という印象から想像できない、激しい気迫で相手に迫り、相手が下がったところを、飛びかかるように打ち込んで、早々一本先取してしまった。
その後も試合終了間際まで、激しい打ち合いとなり、両者へばってきた時、一瞬の合い面が決まり勝利してしまった。
我々一同、彼の大健闘に肩をたたき合って祝福した。
2回戦は小手先取されるも、相手に勝る気迫で攻め続け、初戦同様、合い面が決まり、延長にもつれ込んだ。
しかし、少しどころか、だいぶ実力に勝っていた相手に引き技を決められ、敗退してしまった。
しかし、試合後、同期の仲間に肩をたたかれ、いい試合だったとほめられて、満足そうだった。
大会後、解散する前に、「最後にいい試合が出来たね」と声をかけると、勝てるとは思っていなかったが、
夏休みに体が急に大きくなって竹刀が軽くなったので、何かやれそうな気がして、負けてたまるかと思ったとの事
そして、最後にやっと仲間になれた気がして嬉しい。
みんなありがとうと、晴れ晴れとした覇気のある顔であった。
今年の男子部員は選手枠より多いので、吹田市長杯が最後の大会になる3年生部員が出る模様です。
伝統 投稿日:2009年2月28日(土)22時10分00秒
伝統を作る、伝統をつなぐ、伝統を変える、伝統がとぎれる。
色々言いますが、伝統とは何でしょうか。
学校など出来たばっかりの時
初年度の人は、やり方が決まっていないので、色々やってみて、失敗もします。
それでも、結果を見ながら、やり方を変えて、やがてうまいやり方が、出来ていきます。
次年度の人は、初年度の人が探り当てたやり方から、始めることが出来ます。
同じ繰り返しをしなくてもよいので、何も経験のないところから始めるより有利です。
このように、先人が色々失敗した経験から、うまいやり方がわかって、決まってきます。
そのやり方を引き継いで、各人が上達し、後輩にそのやり方が伝っていきます。
この伝統もすぐとぎれます。理由はと言うと、
「なぜそんなことせなあかんねん」と言い出す人が出てくるからです。
なぜその伝統のようになったのか、伝統のようにするのがなぜよいのか、
いきさつや、理由は始めた本人が去れば、すぐ忘れ去られます。
よって伝統とは、ただ昔からやっていると言うだけではなく、
やり方とともに、経緯や目的や理由が系統的に分析されて、伝わっている事なのです。
そして、それがあって、新たな伝統も生まれ、支持されます。
今年も伝統をつなぎ、伝統を築いた人々が卒業していきました。
みつともえ 投稿日:2008年5月10日(日)10時12分00秒
剣道の稽古で校門を入ると、構内のあちこちから各部活の活気のよい、掛け声や気合いの声が聞こえてきます。
ただ、一中の剣道部だけは、音無の構えです。声聞こえてきません。
それで、声が出てないと指摘すると、お愛想程度に、ふにゃふにゃとした気合いを出す。
どうも気合いの大切さが上級生から伝わっていない。
剣道では気剣体の3つが一致しないと一本の打突にならないのはもちろんですが、
どうも、なぜ声が必要なのかが納得いかないらしい。
いやそれ以前に、気合いの大切さが分かっていない。
例えば、彼らは、人やものが動くのに、ソフトとハードだけで充分と思っているらしい。
パソコンでもソフトとハードだけでは動かない。電源が入って電気が通じないと動かないのに。
人も心と体だけではうまく動かない。気が入ってこそ力が発揮できると言うのに。
ソフトの心も、ハードの体も、気というパワーが入ってこそ人は活躍できるのです。
心体気、ソフトハードパワー、この三つどもえが生き物の真の姿です。
昔から、「気は息に乗り、息は声になる」と言われています。
声の出し方を稽古することによって、上手な気の取り入れ方、気の養い方を習得することが出来るというのに。
中学男子諸君、声はおしゃべりのためだけにあるのではない。
声を出し、気合いを入れよ、電源オン、プラグイン、パワーオン
へのような声では電源は入らないし、気は通じない、充たされない。
さあ、ガンダムに主電源を入れよ。待機電源でフルパワー動くガンダムなど見たことがない
共学 投稿日:2008年2月29日(金)22時15分00秒
先週、一高の卒業式があり、剣道部の3年生も全員卒業して行ったとのことです。
このうち4人は私が剣道の指導の手伝いに来て(平成12年)以来、中学の初心者から6年間一緒に指導稽古出来た、女子では初めての生徒たちでした。
そして上達し高学年になって、部を引っ張って、下級生を育ててくれました。
彼女らのこれからの人生に幸多かれと、願うばかりです。
私が生徒だった時は一中、一高は男子校だったので、男子の教え方は伝統上分かっていたのですが、最近(平成7年)の男女共学になってからの教え方は、伝統や実績がなかったので、初めてのことも色々体験し、どうするのがベストか考えさされ、大変よい経験に成りました。
特に男女の違いで指導方法を変えなければならない多くの点に気付かされた。
まづ、男女では体と心の成長の時期とスピードが全く異なり、中学では
「子供の男子」に「大人の女子」の対立が起こりやすい。
それに、モチベーションの持ち方も男女では異なり、
男子は自分がかっこいいかどうかがやる気につながり、女子は自分がどう見られるかが行動の判断基準になる。
例えば男子はさぼりがかっこいいと思えばさぼりだす。
絶対というものはないが、男女のある程度の傾向は認めて活用すべきであると思う。
男女平等で、指導の差をつけるのはよくないと声だかに言う人が多い昨今ですが、
男は男向きの、女は女向きのやり方を認めてもよいのではないでしょうか。
彼女たちがどうだったか、卒業してからあれこれ教えてもらおうと、楽しみにしています。
夏稽古 投稿日:2007年8月31日(金)21時35分00秒
今日で夏休みの剣道稽古は終了しました。
来週から新学期が始まり通常稽古に戻ります。
関大一中、一高は試験休みや学校行事のため、稽古できない日が多いので、
夏休みの集中稽古で実力を上げる生徒が多いです。
私は中学1年の時、夏の合宿でバテてしまい、自身の限界を知ったことが、以後の人生に役に立った。
その当時の上級生は、下級生を上手にバテさせて、稽古をやめてくれた。
上級生自身がバテた経験があったから、出来たことだと思う。
バテて以降、自分自身どこまでがんばれるかがわかり、今度は絶対にバテないぞと心に誓った。
そして、バテる手前までならガマン出来ると思うようになった。
そして大抵しんどいことは、その手前までであることが、経験して行くうちに分かり、自信になった。
私は学校剣道では並であったが、忍耐力では人よりも強いものがついた実感を持った。
忍耐力に自信が出来たおかげで、答えや結論を人に頼らず焦らず、自分で問題と向き合えるようになった。
特に、じっくり本を読むことが出来るようになった。読みながら分からない所をパスせず考えられるようになった
社会に出て独創的なことをしようとすればするほど、だれも経験したことがない問題にぶつかります。
これに耐えられる我慢力が、あの時、培われたような気がします。
つらい時に、大声で気迫を出してガマンするという稽古も、若い時だから出来たと思います。
人 投稿日:2007年5月21日(月)22時52分00秒
剣道部にも新学期以降、新入部員が入ってきました。
剣道のどこがよいと思ったのか・・・・・・・。それはさておき
関大一中、一高剣道部の指導目的は昔から「剣の理法で人を育てる」となっています。
ではその「人」とはどういうものでしょうか・・・・・・?
その「人の本質」について、私は関大一中の授業や部活で、知って考える機会を、多く得た気がする。
国語の松井先生。
漢文の書跡が専攻で、授業が脱線してくると、禅の言葉や儒教の論語などの逸話を興味深く説明してもらった。
大昔の人が悩んだこと、して欲しかったこと、されたら嫌なこと、そこまでするのかと思うことが書に残っている。
現代でも、さもあろうと、つい思ってしまうことも多い。いつの時代も人の本質は普遍的であると感心した。
習字の東野?先生
人が手本をもって上達する本質を教えてもらった。
ひたすら、手本をなぞる、手本をまねる、手本を写す、手本の字形が目に浮かぶ、
なぜ手本のような字形になるのか筆使いを研究する、やがてなぜ手本のように成るのか気が付く。
すると、いつの間にか上達して手本から離れて自分らしい字が出る。
音楽の○○先生(あだ名はデコ面)
クラシックのオーケストラをたくさん聴かせてもらった。
音楽の感動は、個性の違う個々の楽器を、旋律と拍子と音階を一つの主張の基に、うまく調和させる事より成る。
個々の曲を聞いて、その主張に感動する、人間としての感性を教えられた気がした。
美術の○○先生(名前は忘れました。)
古代ギリシャ美術と哲学の説明。
ギリシャ時代にすでに物質は原子により成ると主張し、人体の構成を解明し、選挙や民主主義が存在した。
人とは何であるかを考えた、その時代の人々の息づかいを、美術を通して説明を受けた気がした。
剣道部顧問の高橋先生
克己心。
個性が有る限り、できばえに差が出来、勝敗が生まれる。
真に競争する相手は、自身の理想の姿と心である。及ばずとも近づける
人の本質に関する知識は、大学受験の点数には関係がなかったが、
人を理解し、幸せを考える上において、大いに宝物になった。
生徒諸君。人の本質について、一度思い考えてみては・・! ちょっと大人の気分ですヨ
ほめる、しかる 投稿日:2007年4月16日(月)20時52分00秒
マスコミなどで「しかってはいけない」「ほめて伸ばすのがよい」と言われています。
本当でしょうか?
ほめるときにほめ、しかるときにしかる。武道ではこれが常識です。
なぜかというと、命がかかっていくからです。
では、叱る時とはどういう時でしょうか?
その行為が全体を危険にする時です。
一人一人が期待した働きを怠ると、全体が危険にさらされます。
よって、期待や約束や信頼から外れると叱らなくては成らないのです。
それを怠ると全体が危険にさらされ死が待っています。
それに、叱るのを怠ると、周りもその事を、悪いことと思わず、同じ失敗を繰り返す事となり、
全体の共通規範(ルール)が崩れ、弱い組織になり、やがて征服されて不幸に成ります。
次に、誉める時とはどんな時でしょうか?
それは、その行為が全体を危険から防ぐ時です。
期待以上にやってもらっうと、全体が助かります。
感謝してお礼を言わないと、もっと出来るのに手を抜かれたりしてしまいます。
よってほめるのを怠ると全体を危険にさらすのです。
それに、ほめるのを怠ると、周りもその事を、良いことと思わず、そこまで出来る時でも、しなくなります。
全体の共通規範(ルール)に成らず、強い組織にならづ、やがて征服されて不幸に成ります。
では、ほめもしかりもしない時はどうするのでしょうか?
武道では、お互い、ねぎらいの言葉をかけるのです。
ご苦労様です。お疲れ様です。よくやっていただいてます。ありがとう
武道では、当たり前のことを当たり前のようにしていたら、ほめもしかりもありませんが、ねぎらうのです。
当たり前の事とは、みんながこれをしなければ成らないと思っている事です。共通規範と言います。
4月のはじめから、新入社員が入っています。
人はある役目に就いたら、当然しなくてはならない事があり、出来なくては成らない事があります。
見習いの内にそれを理解し、習得しなければ成りません。
何が当然しなくては成らないことで、やり方は何か、それを習います。
それを間違ったらしかり、期待以上ならほめる。当たり前の時はねぎらう。
これによって、修練すれば、その役目が誰にでも出来る事となるのです。
ただその中で,一流に達するには、ほめたりしかられたりとは、別な話です。
お間違えのないように。
喜びの歌 投稿日:2006年12月26日(火)21時35分00秒
年末になるとベートーベンの交響曲第9が演奏され、合唱で「喜びの歌」が歌われます。
さて、この歌は、そもそも、何を喜んで歌っているのか・・・・?
どうも、何と言うか、それは、つまり
「すばらしい魂」を得た事を歓喜して、得た者だけが、寄り集まって歌っているのだったとか。
まるで優勝祝賀会のビールかけの様に。
「この地上で、真に自分のものと言える、
たった一つの魂を、勝ち得た者は、
集い、歓喜の歌を、歌う資格がある。
出来なかった者は、我々の集いから、
泣きながら立ち去れと。」
何と厳しい言葉と思われますが、キリスト教では、前提として、
たましいは、肉体とも、感情とも、別の、
自分の気付かない所に在って、
神が与えた、試練の時のみに反応し、成長するものと、信じられています。
そして、それによって「すばらしい魂」が身に付くと、信じられています。
だから、「すばらしい魂」を得る競い合いをしましょう。
単なる欲望の結果や、お互いの自己陶酔を競い合ったって何にも成らない。
あなたにも、そのすばらしい魂の競い合いをする資格があるのだから、と言っているのです。
このことを信じて精進した人々にとっては、
出来なかった人は、神を冒涜していると思われたのでしょう。
まあ、日本人には、「神の下僕として、主人たる神の命令に従う欧米人の感覚」は異様に写りますが、
神の命令に反して、苦しさから逃げ出すやつは許さんと言う西欧人の強さには圧倒されます。
でも、日本の精神同様、精進することには違い有りませんが。
二宮さん、後輩にお稽古ありがとう。
関大剣道部レギュラー、そして、全日本学生選手権出場めざして、頑張ってください。
みんな応援しています。!!
武士の一分 投稿日:2006年12月8日(金)22時55分00秒
木村拓哉主演映画の「武士の一分」が封切られたので早速日曜日に、家内を誘って、鑑賞してきました。
場内は意外と空いていて、いやな予感。
実際、スクリーンのキムタクを見ていると、残念ながら武士を演じるにはもう一つ未熟。
殺陣も演技も期待はずれ。感動の涙無し。
小説と映画の脚本とに、設定のずれがあって、家内は見ていてかなり不満だったらしい。
小説では、剣豪の主人公は殿様の近習組が本業で、毒味役はたまたま一ヶ月間当番に当たっただけなのに、
映画では毒味役が家業と成っていて、主人公はその仕事に剣豪として腐っている設定であった。
ふて腐れた雰囲気は、現代若者としてのキムタクには、やりやすい演技だったと思えるが、
観客としては、ふてくされた武士など見ていておもしろいものではない。
小説では主人公は毒が当たり、盲目になっても、眼もさわやかで美男子そのままの凛とした武士なのに、
映画ではキムタクは眼の下にくまを作って、美男子どころか、やつれ乞食の風体。
おかげで、キムタクの色気も消え失せ、木村拓哉ファンとしてはがっかりだったらしい。
小説では禄を頂戴する限りは、武士の本分をまじめに勤上げ、その為に離縁もし、果し合いもするのが根底にある。
映画の方は小説にない切腹や、斬られてもがいているシーンなど武士の本分のばかばかしさを示している。
武士の一分どころか、これでは見ていて、興ざめも当然だ。
昔の武士は、領民からの禄をいただいている限り、その分、命がけで応える。
現在でも、お客様からお金をいただいている限り、頼んでよかったと言葉もらえるよう、全力を尽くす。
いつの時代でも精神は同じだと思います。
塾や道場でするしんどいことを、学校では自主性に任されていると言って、しない生徒を見かけます。
さて「生徒の本分」、ましてや「生徒の一分」を世間から問われたら、あなたは何と応えるのでしょうか?
手の内 投稿日:2006年10月26日(木)12時55分00秒
宴席で銚子でお酌をしている時、ふと本年亡くなった母親のお酌の手つきを思い出しました。
母の実家が灘五郷の造り酒屋のため、正月親戚が集まると、灘の新酒を燗した銚子でつぐ母たちの姿があった。
私たち子供も、親戚にご挨拶しながら、銚子で注いで回る時、その手つきをまねていたような気がします。
私が大人になって再び剣道を始めた年、剣道の稽古会の後、指導頂いた範士の先生方にお酌をしながら、剣道談義を聞いていると、ある範士の先生から、お酌の手つきが良いとほめられました。
その時そばにいた、私の道場の師範の山崎範士も、手の内だねと言われた。
その時は何のことか解らず、熱い銚子の首を摘んでお酌のふりを何度かしただけでした。
小指の引っかけがいいねと言う先生も居られましたが、引っかけた方が安定して注げると思った程度です。
その稽古会の範士の先生方も10年程前にそれぞれ他界され、その事を、ずっと忘れておりましたが、
置いてある銚子の首を摘んで、相手の前でご挨拶しながら、すっと差し出して、おちょこに注ぐ、
その母の手つきを、今になって思い出し、やってみて、
なるほどこれも、剣道の手の内のイメージだったんだと、やっとわかった気がしました。
言葉ではなく、手つきを見て、まねて覚える。昔風な事ですが、大切なことではないでしょうか。
(追記 平成19年の賀状は身内に不幸があったため、遠慮させて頂きます。)
9月30日 投稿日:2006年9月30日(土)12時36分00秒
9月末は、4月の入学式から3月の卒業式までの、ちょうど中間に当たります。
みなさんは、関大一中一高への、入学と卒業のどちらが、目的だったでしょうか。
入学した時は新しい事がうれしかった人も、慣れてくると、現状を見失ってくるものです。
何が現状かと言うと、いつまでも在校できない、つまり任期があると言う事です。
入った限り、その期間中に、目的を達成して、出て行かねばならないのです。
よって、9月30日は「現在任期期間中の中間地点、あと半分」と言うわけです。
さて次に、任期期間中に頑張って完了を求められると言うことは、理解しやすいのですが、
ピンと来ないのが、在校期間中に自分は何を完了さすのか?と言うことです。関一在校目的とも言えます。
悩み多い事となります。
経験上ただ一つ言えることは、
卒業を意識しなければ、それらは自分のものとしてピンと頭に浮かばないと言うことです。
ずっと先と思っている卒業を、すぐには意識出来ないものですが、それでも、卒業を意識出来る人は、
先輩が何をどう達成させて、卒業したかをよく見ていた人が多いです。
一般的に言うと、「前任者を見て将来の自分が展望できる」ものです。
煩わしさから、他人との接触、ましてや上級生との交流を避ける人がいますが、最高の情報をもったいない話です。
よって、クラブで上級生と交流し情報を得れる人は幸せです。
上級生から情報を得る限りは、もらいっぱなしはいけません、人の道として礼をつくすのは当然になります。
1年生の時、3年生をよく見た人ほど、2年生になって平然と先輩以上の成果を残していく傾向にあります。
先(セン)を取る気質 投稿日:2006年8月17日(木)21時58分00秒
「先(セン)を取るには気力必要」ですが、実は気力はひょんな事で、湧いてくる場合が多いのです。
どんな場合かというと、仕事でも、試合でも、勉強でも、何事にも、流れ、リズムがこちら側に来たときです。
今回の夏合宿の部内試合を見て、思わず「やっぱり」と、うなってしまいました。
夏の合宿では体力と基本の徹底に重点を置いた練習だったせいか、打突が良くなった生徒が多かった。
特に副部長の井上さんは、振り終わったときに手首が柔らかく動くように成っていたので、
剣先が伸び出し、振りの鋭さが出ていた。
部長の乗上さんも積極的にみんなをひっぱていく姿勢からか、稽古中にも先(セン)の気質が出ていた。
合宿の締めくくりの部内試合は、紅白に分かれた勝ち抜き戦で行われました。
試合終盤に、白組が4将に対し、赤組が大将と、白組が3人もの差をつけて、絶対有利な展開に成りました。
赤組大将の乗上さんはキャプテンの気概か、相手の4将を積極的に攻め2本勝ちすると、
そのままのリズムで白組2人を破り、最後大将同士の決戦となりました。
白組大将の井上さんの打突も良くなっていたので、固唾をのんで見守っていましたが、
赤組大将の乗上さんの先(セン)を取るリズムに、井上さんのリズムが追いつかず、赤の1本勝ちとなりました。
井上さんの気力も、劣っていたわけではありませんでしたが、
流れを作り、リズムに乗った赤組大将の気力を、阻止できなかった様です。
リズムや流れと言っても、技や実力でもなし、たかがムードと、思いがちですが、
チームや相手がある場合、その相手よりちょっと、気力を出して、先(セン)を取る。
そのちょっと先(サキ)に出るタイミングが、リズムで決まると、
先(セン)の気質が弱い子でも、先(サキ)に出て先(セン)を取り、相手を浮かせてから、打つことが出来る。
この様に「リズムや流れでも、先(セン)を取る気質が生まれやすくなる」と知るべきです。
ついでですが、他の試合も興味深かった。
川村さんと小林さんの試合は、最後の小林さんの小手は流れ気味ではあったが、
小林さんが先(セン)を取ってから打ちに行った分、川村さんの手元が浮いたので審判の旗が3本揚がってしまった。
また、大野さんは先(セン)を取らずに打ちに行ったため、武田君に待たれて応じられてしまった。
逆に、深井君は先(セン)の気質で攻め抜いたため、武田君はじっくり待てず、
武田君の方から、応じに行く動きに成ったため、後の技を封じられた。
乗上さん、深井君、など各部員の「負けない」と言う意地が伝わってきた内容でした。
気を養う 投稿日:2006年7月28日(金)17時15分00秒
猛暑の中、防具をつけて構えあった時、汗が噴き出て、先に打ち込んでいくのがいやになります。
特に2〜3度、打ち合ったあと、すぐなど、特にそうです。
それでもエイヤーと、一歩前に出て、先を取る気力を出して、相手を動じさせ、打ち込めた時は爽快です。
こちらも、相手も、しんどい時に、自分が気力を出して勝ったと、実感できます。
この様に、先を取るには気力がいるのです。
暑い夏にわざわざ、厚手な防具をつけて、ガマン大会のごとき様相での稽古は、この様に大いに気を養えます。
社会に出て剣道が役に立つのは一握りの強豪選手だけですが、
剣道で養った気力は、どんな人でも将来大変役に立ちます。
暑さですぐに、へこたれそうになる。それは相手も同じです。
その相手よりちょっと、気力を出して、先を取る。
この夏は、先を取る稽古をして、気を養ってもらいたいものです。
暑う〜〜!!。
稽古と試合 投稿日:2006年6月26日(月)12時12分00秒
インターハイ予選は終了し、3年生の高校剣道公式日程は終りました。
予選は初戦では勝ったももの、2回戦で敗退。
試合後、主将一人が涙していたのが印象的でした。
キャプテン1年間ご苦労さんでしたと、ねぎらいの言葉しかありません。
さて、次年度諸君に認識して欲しいことは、
試合とは、厳しいことに、やり直しがきかないと言うことです。
1回限りです。もう一回と言っても、勝敗は取り消されません。
しかしながら、稽古は試合と違い、何度も、やり直しさせてくれます。
今のなし、もう一回とい言って、出来るまで、勝つまで、気に入るまで、やらしてくれます。
師範に何回かかっても、何日かかってもやらしてくれます。
この様にリセットがきく、稽古とはその点ではありがたいことなのです。
日々是好日。何はともあれ、
引退する者の心に、次につながる、いい思い出として、
今までの事が、リセットされずに、残ればと願うばかりです。
目標 投稿日:2006年5月30日(火)12時55分00秒
6月からインターハイ予選が始まります。3年生は部活最後の公式大会です。
中間試験明けの5/27の稽古後の挨拶で、松田師範からどんな目標を持って稽古しているか、聞かれていました。
生徒はただうつむいているだけ。
まあ誰が見ても目標があって稽古していますと言い切れる人がいないのは皆分かっている様子。
また、言いたくても、ほど遠い稽古内容に、恥ずかしくて口ごもっているのか。
私も関一の生徒の時を思い返すと、目標と聞かれたら関大に合格することだった。うまくいけばもう少し上も。
それで、ほかに夢中になるよりも、ごく平凡にしていれば合格するだろう程度の人が最も多かったのではないか。
まあ、夢中に成らなければ達成できない目標など避けて、平凡にやっていれば人並みに関大に合格出来るだろうと。
だから、能力があるのに夢中に成るのが怖くて一歩引いてしまう、それが関一の底流に渦巻いていた気がします。
大学に入って気が付いたことは、夢中にならなければ、価値のある研究成果など出来ないと言うこと。そして、
夢中になって我を忘れ無いためにも、目標を持ち、目標に向かって計画を立て、夢を実現していくと言うこと。
そして、一つ目標を持てたら、他の分野でも目標を持って同じように出来ると言うこと。
目標不在の諸君、
目標はすごいのを見て、自分もああなりたいと思うこと。そこから始まります。
試合では強い選手をどんどん見てください。
指導 投稿日:2006年3月22日(火)22時05分00秒
4月から新入生が入ってきます。今の1,2年生が進級して指導に当たります。
今稽古に励んでいる生徒は、師範や上級生の指導を受けて上達した子です。
言って聞かせ、やって見せて、そのとうりまねをやらせるのが一般的な指導のやり方です。
しかし、最近の状況はそれで応じれる新入生は減ってきています。
無視して我流でやろうとする傾向が強いです。
その上、我流が通じないと知ると引きこもりがちになります。
そして稽古に来なくなります。
なぜ我流がよく見え、師範や上級生の手本に応じようとしないのか不思議でした。
そして気付いたことは
1 聞いただけで出来た気でいる子が多い。よって手本になる師範の動きを見て比較しない。
だから、やってみてうまくいかないのは、言われたことが違ってたからと思い、我流に走る。
2 やがて、我流ではだめと分かるが、指導された基本を習得し上達するまで、負かされしんどい稽古必要なので、
耐えきれず抜け道を行こうとして、結局は遅れてしまう。
3 実生活では知ることと、出来ることは別なのに、学校の知ったら点取れるのと同じような感覚に成っている。
今も、今までも、剣道部にはしんどい練習を平然としてこなす生徒はいます。
それは、身に付き上達するにはその稽古が必要と先輩を見て分かっているのです。
そして、しんどい稽古を乗り切った先輩を見て、充実した幸せを内心知っているのです。
引退するとき、稽古が出来た幸せに気付き、それを乗り切った自分の幸せに気付き、励まし支援してくれた仲間家族に気付き、感謝し感激して去っていく先輩を幸せだと思えたからです。
4月から上級生に成る諸君、
やがての引退が来ます、稽古が出来、上達が出来る幸せを、自身で噛みしめ表すことが、下級生に対する一番の指導に成ると思います。
愛国心 投稿日:2006年3月16日(火)12時10分00秒
増田俊男氏のおもしろい記事を読んだので紹介します。
「氏はアジア欧米から講演依頼の絶えない数少ない日本人経済評論家」。
戦前の日本では愛国心教育が盛んだった。教育勅語があったし、二宮尊徳像が小中学校の校庭にあり、毎日節約や滅私奉公が説かれた。目上の者を敬い、兄弟仲良く、他人に迷惑をかけてはいけないと教わった。こうした教えに反した者は厳しい体罰を受けた。
日本人にとって愛国心とは、「みんなで仲良くやってゆく社会を大事にすることである」。
「共同体なくして個人なし」が日本で、「個人なくして共同体なし」がアメリカである。
だから、日本の共同体の強さは「和の精神」の強さに比例し、アメリカの社会(国家)の強さは個人の「競争」の強さに比例する。
強い社会(国家)を願い、作ることが仮に愛国心だとするなら、日本の愛国心は日本人同士の団結を強めることであり、アメリカのそれは競争相手と戦い勝つことである。
だからアメリカの愛国心のためには敵国が必要で、日本の愛国心のために敵国は不要なのである。
中国や韓国にとっても、愛国心は国家の存亡に関わる最も重要な精神である。
中国は異民族集団だから強力かつ分かりやすい共通精神が必要である。
しかし、60を超える異なった価値観を持った13億の人民に共通する精神を創造することは不可能。
一番安易で効果があるのは、強力な「敵」を作ることである。
だから中国は日本を敵にするため、愛国館を全国に作り反日感情の高揚を図っているのである。
韓国の歴史は被支配の歴史だったばかりか、不幸にして民族が分断されて同じ民族が南北敵対関係にある。
こうした被支配の歴史と同民族対立の中で、愛国心は国家統一に欠かせない。
最も安易な道は、被支配の記憶が残っている日本を敵にすることである。だから韓国は中国に負けず反日感情を煽り続けるのである。
愛国心のために敵がいらない日本、敵が必要なアメリカ、中国、韓国。これが日本外交の基本になくてはならない。
このギャップから生まれる問題解決にはどうしたらいいか。
それはアメリカ、中国、韓国を「二宮尊徳像が校庭にある日本」へ入学させることであるから、日本は早く校庭に二宮尊徳の銅像を再建しなくてはならない。
ということですが、それよりそもそも最近の日本の小学校で、二宮尊徳を教えてもらえるのだろうか。
木村拓哉 投稿日:2006年2月21日(火)12時55分00秒
来年の正月映画のために、SMAPの木村拓哉主演の「武士の一分」と言う映画の撮影が行われると出演俳優の記者会見をテレビでしていました。
監督の山田洋次氏によれば、キムタクは幼少時代から剣道に没頭していたので、剣の動きが主役の三村新之丞のイメージにはまっているらしい。
キムタクが剣道経験者とは知っていたが、そこまでの腕とは知らなかった。
この映画が評判をとって、剣道に関心が集まればと期待します。
物語は藤沢周平氏の時代小説「隠し剣秋風抄」の一編で「盲目剣こだま返し」の内容とのこと。
以前に読んだ記憶ではたしか、剣の達人ではあったが、毒味役で失明した新之丞が武士の一分を立てるべく、妻をだました剣豪の上司と密かに果たし合いをする物語でした。
40ページほどの短編でしたが、物語の最後は思わず涙がこみ上げてきました。
覚悟を決めた男の落ち着きと、全てを包み込む男の優しさをキムタクがうまく演じてくれたらと期待する次第です。
男たちの大和 投稿日:2006年2月8日(水)19時00分00秒
現在、東映系の映画で「男たちの大和」という映画が12月から上映されています。
撮影現場が瀬戸内海の尾道の造船所ドックに作った大和の実物大のセットだったため、上映前からそのセットが尾道観光の新たな話題になっていました。
そして私の会社の客先がその尾道市内にあったため、映画前売り券を尾道観光協会経由で何枚か義理買いしました。
当然その券は社内の希望者の手に渡ったわけです。
私としては、最近の戦争映画は日本の悪い部分を強調する映画が多いので、見に行く気は毛頭ありませんでした。
ところが、社内の人が意外と見に行っている事を知り、なぜか気になってきました。
社内の若い女子社員までも、よかった、よかったと言っているので、家内と見に行きました。
場内は意外と女性が多く、戦争映画と言う雰囲気ではありませんでした。
そして上映中、多くの人が涙していました。
映画終了後も、感動して席をすぐに発つ人もいませんでした。
素直によい映画でした。
インフルエンザ 投稿日:2006年1月25日(水)19時51分00秒
3学期に行われる剣道大会の最大の難敵は実はインフルエンザです。
1月の新人戦でも登録選手の欠場が見られ、せっかくの勝利の期待が遠のいた学校が見受けられました。
実際、22日の女子の新人戦で、欠場校の多くが出た組のコートでは、試合数が少なく、すぐにベスト8が決まってしまいました。
よって、最大の敵はインフルエンザだった。と言うわけです。
特に最近は各校とも部員の減少傾向にあり、強豪校でも交代要員が少なくなった学校が目白押しです。
その為、風邪でも無理して出場し、勝ち進むごとに、力が落ちていく選手もいます。
インフルエンザ対策は、うがいに手洗いですが、テレビによると食べ物でも効果あると言っていました。
まず鶏肉、これはコラーゲン中のビタミンAが鼻や口の粘膜を強化し、ウイルスの侵入を防ぎます。
次に、キノコやかき、これは免疫力を高めます。みそ煮込み鍋にかきやキノコを入れて食すると効果増強。
私のインフルエンザ対策は、みかんと・・・・気合いだ〜〜〜!!
気合い 投稿日:11月22日(火)19時51分00秒
11月20日(日)に関大一高OB-現役交流稽古会があり、OBと現役の勝ち抜き対抗試合を行いました。
OBの方は5段、6段の腕前に対し、現役生徒は初段、2段の技量なので勝敗は予想されました。
よって現役諸君がどれだけ頑張るか期待して見ておりましら、OBから1本奪った生徒が3名出ました。
3人に共通していたのは、気合いが大きく、何とか1本取ろうという気迫が強かったと言うことです。
井上、乗上、中澤は決して臆して逃げずに、気迫で攻め立ち向かっていく為、強い気合いが出ていた。
技量の差があっても、その差を埋めるもの、それが気合いであったと言うことです。
強い選手は、調子が悪いときでも、声を出して気合いで、調子を乗せていくようにしています。
生徒諸君も、強いときは、いい気合いが出ている事実をよく考え、稽古に取り入れましょう。
有教無類 投稿日:10月18日(火)22時01分00秒
引き続き「孔子」です。
孔子の教え「論語」の中の言葉です。教え有りて類なし。
昔、小学校の教室の黒板の上に「有教無類」と書かれた額が掲げてありました。
その昔、小学校の先生によると、
誰でもちゃんと教えたら、ちゃんと出来るようになる。だから、
ちゃんと教えもせんと、「出来んのは、けしからん」と、子を怒ってはだめ。
それで、親は子供に、ちゃんと教える義務がある。義務教育と言います。
あなたがたも、ちゃんと教えてもらったら、出来ますよ。
黒板の上の額の意味は、そういう意味ですよぉ〜。
さあ、みんな一緒に勉強しましょうネ・・・・。
はぁ〜ぃ・・・・。元気よく返事した記憶があります。
でも、世の中には、教えてもらわなくても、もともと出来る人はいます。
誰に教えてもらわなくても、いつも野球では4番ピッチャーに成ってしまう子。
すぐに、サッカーでフォワードでゴール決める子。
ゴルフですぐにスコアー100以内でまわる人。
レシピを聞いただけで、瞬く間に料理作ってしまう人。
初めてなのに、字の上手な人、絵のうまい人。
誰に教えてもろたん?・・・と聞きたくなります。
それで、学年が進むうちに、黒板の上の額の言葉が信用できなくなって来ます。
どうも世の中には、
教えてもらわんでも出来る人と、教えてもらって出来る人と、教えてもらっても出来ん人がいる。
教えてもらわんでも出来る人は、いいなぁ〜・・・。
俗に、素質がある人と言うやつです。
しかし、よくできたもので、素質のある分だけではうまく生活出来ません。
素質の無い分野も平均程度に成っておかないと、素質が生かされません。
専門バカと言うやつです。端が迷惑します。
うまくできなくても教えてもらえば一応出来る。
これが大切なのです。
なぜかと言えば、有教無類でない社会、つまり、元々出来る人にしかさせない社会で、本当に困るのは、継続性、発展性の無さなのです。
教えてもらえば、多くの人が出来るシステム。
それを組まないと、世代を越えて続きませんし、広がって行きません。
地域組織、会社組織では特にそうです。親から子へ、子から孫へ。先輩から新人へ。
引き継ぐ担当者を簡単に作れなくて、つぶれてしまうシステムでは役に立ちません。
サービスが続きません。客が去って、職業として成り立ちません。
だから、現代日本は、教えてもらえば、たいていの人は出来るシステムに組んでます。
ご安心ください。慣れれば、そこそこ上達していきます。
要は、その中でピカイチに成るのだけは、どこでも誰でも難しい。それだけ・・・・。
まあ、余談ですが、
剣道も、もともと最初からうまい人はいます。
でもがんばらなければ、そのうち普通の人ががんばって、抜いていってしまいます。
最初からうまい人が、最後までうまいかどうか・・・・神のみぞ知る。
論語 投稿日:10月4日(火)23時10分00秒
漢文の時間になると出てくるのが論語です。
今から約二千五百年前の孔子の言葉ですが、なぜかよく覚えているのが為政第二。
吾、十五にして学を志す。
三十にして立つ。
四十にして惑わず。
五十にして天命を知る。
六十にして耳したがう。
七十にして心の欲する所に従い、矩をこえず。
現代日本で十五才と言えば義務教育を終えようかと言う年頃。
その歳から勉強しようとは何と遅まきなと、最初に読んだとき思ったものでした。
孟母三遷の教えのごとく、かの国では小さいときから勉強させられると思っていたのに・。
その時の先生の説明では、
今まで勉強してきて、十五才にもなったら、世間や、自分の得意、不得意が見えてくる。
それ以降、自分には、これではないかというものに、自ら向かっていく。
そして三十にして、向かっていったものになったと自分では思える。
四十にして自信を持って、それになれたと言える。
それ以降は色々説明有るが、その歳になっていないのでようわからんとのことでした。
どうも怪しい・・・・?
関大一高剣道部は高校から剣道初体験の人が多いです。
十五を過ぎて、何かを感じて門をたたいたと思います。
たぶんわかっていたと思いますが、関一剣道部は剣道家を育てるのが目的ではありません。
伝統的に関大一高剣道部は剣の理法をもって人を育てるのを目的としています。
それに実際、2年半で全国大会に出れるほど甘い種目ではありません。
それでもうれしいことに、そこを目指してがんばる人が出ます。
2年半経って、最後の試合までに、その目標は達せられなくて、涙すると言うのに。
ご苦労さん、ご苦労さん。
でも目標は達せられなくても、目的は達せられたかも知れません。
なぜかと言えば、
最後まで、目標に向かってがんばりきった自分があったとしたら、
目的である、人として育つということは、きっと達成できたと思えるからです。
まあ、余談ですが、
それでいていつか、結果として剣道家が生まれればうれしい話だと思いますが・・・。
山崎 守 範士の教えその1 投稿日:9月23日(祭)15時10分00秒
彼岸の中日ですので先人の事を書き込みしました。
高1の6月に剣道をやめ、時が過ぎ、おっさんになって、また剣道を始めた時の師匠です。
武専出身の背の高い方で、すり足、素振りから、一から丁寧に教えて頂きました。
残念ながら、習い始めて2年過ぎたころ、七十才過ぎで突然他界されました。
よって私は、山崎範士の最後の直弟子とあつかましくも自称しています。
子供の頃に気が付かなかった剣道の基本を色々教えて頂きました。
その時のメモより、一つ紹介します。
下記は振りの要領、素振りや打ち込みしながら反復練習するように。
1、剣を振り上げつつ、前足を少し浮かしながら出す。次に、後ろ足で蹴りつつ振り下ろす。
(後ろ足のけりで、振り下ろす気分、後ろ足のけりと手の振り下ろしが一致して手足が合う)
2、振り上げは構えたままで肩の回転で上げ、高さは左ひじをあごの高さまで上げ、その時ひじ幅は肩幅以上には開かない。
(振り上げは見下ろすような攻めの気持ちで肩の力を抜いて行い、振り上げていくと後ろ足の指に力がかかっていくのを感じること)
3、振り上げながら素早く息を吸い、振り下ろしながら声気合いと共に息をはく。
(上手に息を吸いながら振り上げた時は肩や体のりきみが無く、スムーズな振り下ろしにつながっていく。体や足がこわばった時は息を吸うと動ける。)
4、以上の一連の動作を止まらずに一拍子で行う。
(振り上げながら体が半分前に出、振り下ろしながら残り半分前に出る。)
改めてメモを見直すと、今でも満足に出来ていない自分自身に愕然とします。
小手や面に当てて審判の目をごまかせても、相手を断ち切る一本には上の様な打突が必要なのです。
下手な稽古 投稿日:9月14日(水)19時10分00秒
足の裏の皮がむけた、手のひらの豆がつぶれた、足のかかとが痛い、膝がギクとなる。
一生懸命稽古に励んだからしかたない。・・・・・本当にそうでしょうか?
昔は体に、こう薬など貼るのは下手な証拠と叱られ、恥ずかしいと思いながら包帯などしたものです。
上手な人を見習って、その様な動き出来れば、豆も出来ませんし、かかとや膝も痛めません。
つまり、理にかなった動きが出来ないから、足の着地時に、かかとや膝や腰にまともに衝撃受ける。
手の内が出来ていない為に、豆が出来る。
左右の足の体重の移動がわかっていないから、擦って、足の裏の皮がむける。
などなど、下手な稽古をしたために、起こるべくして起こっているのです。
つまり、「下手な稽古をしているよ」と体が、痛みを持って、教えてくれているのです。
師範の動きをよく見て、体を痛めない本来の正しい打ち方をしましょう。
それが上手な稽古と言えるでしょう。
まだはもうなり、もうはまだなり 投稿日:8月27日(土)12時12分00秒
稽古も勉強も、まだまだいつでも出来ると思っていると、やらないうちに終わってしいます。
反対に、もう今からやっても無理と思ってしまうと、あきらめてやめてしまいます。
この様な人は、「まだはもうなり、もうはまだなり」を知らない人なのです。
つまり、人がまだと思っている時に、よし!とやり始める。
人がもう無理と思った時に、まだまだ!とあきらめずにやりきる。
これが成功の秘訣と言うわけですが、
偉人伝などの分析で、成功する人の多くは、
人がまだまだ余裕あると思っている時に、もう今しかないと行動できた人で、
そして、人がもう無理やと思った時に、まだ終わってないとあきらめなかった人です。
もう今しかないと思っている人の集中力は大変なものです。
剣道は集中力で差がつく。同様に勉強も集中力で差がつく。
集中できるかどうかで成果に差がつきます。
集中しない多くの人は、「まだいつでも出来る」と思っている場合が多い。
しかし、今という時間が、ずっとあるわけではないのです。
だから、まだいつでもと思ったら、反対にもう今しかないと思って、
一気呵成にやってしまうのが、上手な生活を送る秘訣です。
まだまだあると思っていた夏休みも、もう少ししかないと気づく時期です。あきらめも漂います。
でも今日はあるのです。あきらめずに集中してやりきる。
そうすると、やれそうと目安がたってくるものです。
まだいけると思って、秒読みまでがんばっている人の集中力も大変なものですから。
剣道初心者諸君、思わぬけがで遅れた人もあきらめず、明日の級認定審査がんばってください。
涙 投稿日:8月17日(水)19時32分00秒
大阪高等学校総合体育大会剣道大会が15,16日にありました。
結果は男子は3回戦敗退。女子は1回戦敗退。
3年生にとっては最後の公式戦で引退。1、2年生は出発点に成る試合ではありました。
試合後、3年生諸君は号泣しておりました。
訳は各人から直接聞いたわけではないので、定かではありませんが、しかし
同僚や下級生に、「ありがとう、ごめん」と言っているところを見ると
引き立ててくれた事の感謝と、十分に応えられなかった口惜しさが泣きを誘ったと思われます。
また、何とか最後までやれた事に感極まった涙だったとも思います。
最後までがんばれたねと、ねぎらうほかありません。
下級生も泣いておりました。もらい泣きの生徒も居たと思いますが
これも理由を聞いておりませんので、しかとは言えません。しかし
一緒に試合に出た者は、もう少し自分がうまくできていたら勝ち進めたのにと心残りの涙でしょう。
どこが至らなかったか、よく考えて、出発点に成ればと期待するだけです。
この様に、試合後泣くのはしかたありません。
ただ、試合後いつまでも、めそめそ人前で泣くものではありません。
まだ試合をして応援している人も居るのですから。
涙が止まらなければ、場所をはずして人目をしのんで泣くものです。
でも、お互い涙が止まらないくらい、最後までがんばれた事があった。
その事は幸いにも、当人達にとって、きっと最高の宝物に成るでしょう。
チーム 投稿日:8月2日(火)20時52分00秒
本日吹田市中学校総合体育大会が行われました。
何人かの父兄も応援いただきましたが、残念ながらいずれも1回戦敗退でした。
しかし、勝敗よりも今日の大会で、チームについて関大一中生が自覚出来たことは得難い成果だと思いました。
なぜ人はチームを組むのでしょうか?
それは、一人でするより何倍も大きな成果を得られるし、又一人では出来なくても組めば出来ることもあるからです。
ではチームとは、どういう事でしょうか?
それは、自分以外の人と協力して何か対処する事です。
ではなぜ自分以外の人と協力出来るのでしょうか?
それは、同じ目的と、信頼関係があるからです。
同じ目的があっても、仲間どうしの信頼関係が無ければチームは機能しません。
各自が一生懸命自分のポジションを守っても、誰かがさぼれば全体が一気に崩壊してしまいます。
つまりチームの都合より自分の都合を優先されると、チームは機能不全を起こすのです。
だから信頼出来る人としか、誰も組みたくないのです。
あなたは信頼できる人ですか?
人に信頼してもらう方法は、そんなに難しいことではありません。
ある誰にでも出来る事をすれば信頼される、と武道では昔から言っています。
それは、1挨拶が出来る、2後かたづけをして元の状態に戻す、3約束を守る、です。
これが出来る人は必ず信頼されます。
ですから武道はその訓練を必修とします。
知っての通り、幼い子はこれが苦手です。
自分を最優先してくれないとガマン出来ない子。
自分の欲望を削るなんて、とんでもないと思ってる子
無理、だだこねても、きげんとってくれる母やじじ、ばばに、なんとかさせようとする子。
幼子のあいだはそれでよかったのです。うんと許されていたでしょう。幼子の心が安らぐから。
しかし幼子から自立する年代になったら、信頼に向かって飛び立たねばならないのです。
安らぐ心がで出来たら、次は強い心を求めてガマンと向き合わねば成りません。
安らぐ心とガマンの出来る強い心、これが大人の条件です。
天神祭 投稿日:7月26日(火)20時00分51秒
昨日7月25日は日本三大祭りの一つ、水の都大阪の天神祭でした。
水都祭、天神祭りは学問の神様菅原道真公をご神体として大阪天満宮で行われる夏祭りです。
大阪市内中心部での夏祭りは7月1日に成ると、南の融通さんから始まって生玉神社、高津神社と徐々に北に上がっていき、締めくくりに25日に天神さんで終わります。
かく言う私は、大阪天満宮の町会に住んで20数年になります。町会から寄付だけの氏子ですが・・。
引っ越してきた当初は高い建物は無く、マンションから大阪城がよく見え、祭りの時も遠くから聞こえる音だけで、祭りの何をしているか、大抵わかったものです。花火もよく見えました。
近年は周辺に高層ビルやマンションが連立した為、祭りの雰囲気が遮断されてしまいました。
ですから、祭りの行列の追いかけをしないと、どんな祭りをしているのか、さっぱりわかりません。
最近は、天神祭の案内を頼まれると、今年のおふれ太鼓が何時に天満宮を出るか調べ、天神橋の北端で行列を待つことにします。大抵は夕方の4時過ぎです。
行列は太鼓や猿田彦を先頭に、大勢の子供たちの獅子舞踊りや、だんじりが続きます。
行列の最後は鳳御輿、玉御輿です。重いのでいつも遅れ気味です。
そして、それぞれが、祝儀をもらった家の前や、広場で伝統の芸を演じます。
祝儀が多いほど行列は遅れます。
見飽きると、家に戻ってシャワーを使って、冷えたそうめん等を食って一服します。
6時くらいになると行列も徒歩から舟に代わり、大川の舟行列に成るので、川縁の南公園に行って舟行列を見ます。ちょうど日も没し暗くなって船のかがり火が綺麗です。
船を追いかけながら、天満橋を渡って、川崎地蔵のあたりの屋台で一服します。
8時過ぎからは花火が上がるので、そこから見るのが一番よく見えます。
花火は8時55分までで、花火が終わるとすぐに、天満宮に向かいます。
9時頃から行列の宮入が始まるからです。
宮入する行列の人は祭りの最後を惜しみながらも、充実感で幸せそうな顔をしています。
10時半くらいにはすべてが宮入し、境内が一般者に開放されます。
そこで、だんじり囃子や大太鼓を聞きながら、天満宮にお参りし、無事を感謝します。
11時になるとすべてが終わり、境内から人影が消えてしまいます。
今年も何人かが家を訪れ祭り見物をして行きました。
もちろん外人も来ます。今年の外人はオランダ人高校生でした。
頭がよくなると知ると天満宮で一生懸命手をあわせていたとのことです。
地元の人しか知らない天神祭の楽しみ方です。
武の精神 投稿日:7月12日(火)23時00分51秒
私たちは剣道と言う武道をしていますが、その本質である武の精神についてはあまり言いません。
武と言うと日本では、終戦後の憲法で武力放棄や、暴力団のイメージであまり評判がよくありません。
又、日本は世界に先駆け武力放棄し、大変立派だと、世界から高く評価されていると思っています。
ところが実際は世界から、ばかにされこそすれ、全く評価されておりません。えっ〜そんなばかな!!
それが日本人に知れ渡たのは、14年前の1991年の湾岸戦争の時です。
これはイラクのフセイン大統領がクエートに侵攻し、油田を奪ったのです。
それで、国連の要請で多国籍軍が結成された結果、イラクの侵攻を多国籍軍が跳ね返した戦争でした。
ただ、日本は憲法上、多国籍軍に参加できず、1兆数千億円という巨額戦費の負担の方で、しっかり貢献したつもりでした。
ところが、世界からは「血を流す、誰でもいやな事を他国に押しつけて、金で済まそうとは何事か、卑怯者」と罵られ、当事国のクエートすら、世界への感謝の言葉に、日本だけ外してしまいました。
日本は、世界から「武装放棄してすばらしい」と評価されるはずだったのに。世界の反発をかうなんて!
なぜ、こうなってしまったのでしょうか?
それは、日本人は武装の放棄と共に、
人として大切な武の意味や武の精神も、なぜか同時に放棄してしまっていたからです。
日本の武道では、武とは、
「人間として容認出来ない事や、暴力を背景にした理不尽な要求に対し、それを止める手段」を言います。
止めることによって守るものが、愛する家族であれば家族愛になるでしょう。
人であればヒューマニズムと呼ばれるでしょう。
もちろん怖い思いもするかも知れません。
しかし怖いからと言って、人として見過ごせないものもあるのです。
また、日本の武道では、武の精神に関しては、
「人として大切なもを、命に代えてでも守ると言う考え」を言います。
確かに命は地球より重いと言います。ですから武道も、命は粗末にしようとは言っておりません。
誰でも命は失いたくありません。それでも、人として命に代えてでも守らなければならないものがあると言っているのです。
だのに日本は、大切なものを守るのに、命は君ら、金は日本、この分担で十分だろとやってしまった。
武の精神がわかっていれば、金だけの貢献だったとしても、もう少し賢い言い方があったと思います。
残念ながら、世界の人からは、武の精神のない、信用のおけない国、と思われてしまった。
さて、地球より重いあなたのその命で、世の中に対し、あなたはどんな事をしているのですか?
そう世界から尋ねられたら、あなたは何と答えるでしょうか・・・・・。?
愛するものを、命をかけてでも守りたい。誰でもそう思うのでは、ないでしょうか。
先の気迫 投稿日:6月27日(月)22時00分51秒
関大一高生はインターハイ予選後、松田師範から気迫負けを指摘されていた。先に相手に間合いに入られたり、鋭く踏み込んで打ち込まれたり、先の気迫が関大一高生の剣道には欠けている様です。
なぜ先の気迫がつかないか?
そう思って生徒と稽古するとすぐに気がついた。
稽古の時、生徒が打ってきたのを応じて打ったりすると次から打ってこない。仕方ないのでこちらから打っていくと生徒は防戦一方に徹する。地稽古だから打ってこないとだめと剣先をはずすと、ぷいとむくれてしまう。
松田師範にかかっていってへとへとになるまで引きずり回される二の舞はいやと言った顔をしている。
どうやら、なぜ松田師範が引きずり回す稽古するのか理解してない。
地稽古でへとへとになっても、何くそ打ってみろと、上級者の打突間合いに踏み込んでいく、これが先の気迫がつく稽古です。
つまり、上級の先生に打てるものなら打ってみろと、腹の底からフムと打突の間合いに踏み込んで、次にデヤーと打ち込んでいく。応じられようがかわされようが、また構え直してフムと打突の間合いに踏み込んでいく。そしてデヤーと打ち込む。へとへとになってもフムと打突の間合いに踏み込んで行く。
息上がって、もうだめ、これ以上だめと思っても、構え直して、フムと打突の間合いに入っていると、相手に打たれる恐怖心などどうでもいい心境に成っています。
「この捨て身の気迫(俗に言う捨てきった打ち)には上級者も思わずつられそうに成ります。」
そして振りも、デヤーと力入れようにも力も入らぬ振に成ってしまいます。
「なんと、力の抜けた手首やひじの関節がよく効いたなめらかな打ちに成っているのです。」
この稽古をしていると、やがて、へとへとになった時の、フムと相手の間合いに踏み込んでいく気迫を、最初からやれるようになる。打たれる恐怖を乗り越えた、先の気迫がつくのです。
手首の重み 投稿日:6月21日(火)22時00分51秒
手首に力が入っていると手首が固くなりスナップの効いた打ちにならないと、説明するのですが、インターハイ予選を見ていると、手首やひじが力んでいて、関大一高生の打ちは、打ち切れているとは言い難い。
そこで稽古の時、竹刀、小手をはずして、素手で構えさせて手首の力を抜くと、手首の重さで、手首の関節から先が下にたれるよと言って、手首の力を抜けと、やらせてみると、なんと、手首の先が下にたれない。
手首の関節が曲がらないのである。
えー!と思って、私がやって手首が実際たれるのを示して生徒に「ほらこうなるだろ」と見せると、手首がたれるのは、腕の筋肉に力を入れて、私がわざと手首をたれさせていると主張する。
なるほど彼らは、手首の重みに気がついていないのである。
腕を前に水平にのばして、前にならえをして、手首の力を抜くと、手首の先がたれないで、手の指が前方を向いたままと、彼らが思いこんでいるのが初めてわかった。
彼らは、力を入れて曲げないと手首の関節から先が下がらないと、思いこんでいるのです。
手首の関節から先の手のひらの重みで、手首の力を抜くと、手のひらが下にたれようとしないかと聞くと、手首の先の重み?....。手首の先に重みが有ったのかと言う顔をしている。
しかし、やがて手首の先の重みを体感すると、誰でも手首の力を抜くと、手首から先が斜め下に曲がり始めます。
自覚した途端に無意識の力が抜け始める様です。
実は言うと、拳をぎゅっと握ったままでは、手首の力は抜こうと思っても簡単には抜けません。
手のひらの握りをほわっとゆるめないと、手首の力は容易く抜けないのです。
ぎゅっと握っている生徒にとっては、人体の構造上、力を抜こうにも抜けなかったのです。
だから右手は構えて、振り上げて、振り下ろすまで、ぎゅっと握ってはいけないのです。
竹刀が打突部位に当たる瞬間以外手の内をゆるめておく、それが基本とされています。
エリート 投稿日:6月7日(火)22時00分51秒
私は小学校の頃学級委員長になってみたかったので、エリートと聞くとうらやましいと感じていた。
関大一中に入学してすぐ学級副委員長に指名されたときはうれしかったが、いざやり始めると、みんな勝手気ままを言う、自分のためなのに文句を言う、ついでにやっといてくれとねだる。1週間でいやになって親に愚痴を言ってしまった。
すると、
「おまえを見込んで選んでくれた人がいる、信じて選んでくれた人に恥をかかすわけにはいかんだろう?
期待してくれてありがとう、という気持ちがエリートを支えるんだ。それ以外はない。
人とはそういうものだ。そしたら、期待に応えるため解決策を必死に考える。
皆のためになること、使命を果たすために皆に堂々と協力を求めるのは当然だ。
しんどくても皆のためだと背筋のばす。そのねだりや気まま、文句は皆のためになるのかと心に思って」
そして
「間違っても損得で、役職を受けてはいけない。皆に下心を読まれて、信用を失うだけだ。
反対に誰かに役職を頼む時も、いい加減に選んではいけない。
皆、本心では期待できる、ちゃんとした人を選びたいものだ。
いい加減にしたら、信頼した集まりには、ならないで、結局はみな大損する。」
使命なんて、ええかっこ言うな、という人が必ずいます。
しかし実際、この世に使命のない人なんて、一人もいません。
さて、部活ではもうすぐ3年生が引退し、2年生が役職を担います。
いやだといっても、もっとやりたいといっても、1年間しか担えません。
1年たったら去っていくのです。それが同期というものです。
私の場合、部活でも役職を引き受けた仲間は苦労した分、今でも親友です。
反対に、いい加減に選んだ、ずるい時のクラスは思い出したくもありません。
初心者 投稿日: 5月31日(火)20時00分51秒
連休明けから剣道の経験者や初心者の新入部員がそろそろ入ってきます。
初心者でもうまくなりたい気持ちの強い人は、指導する側の話を素直に実行するので、経験者で入った人よりも基本の打ちが癖なくきれいに出来るようになります。よって、初段を取るのも速いです。
しかし、おもしろいのは初心者で急にうまくなっても、試合に強くなってのびていくタイプと、勝負に弱くてせっかくの形が崩れていくタイプがいることです。
勝負に弱く形の崩れていくタイプは、一本取れないのは打ちが速くないからと勘違いし、せっかく左足でしっかり蹴れて一拍子できれいな基本打ちが出来ているのに、相手のこと考えず、ただひたすら竹刀を相手に速く近づけようとして、打突の形がどんどん崩れてしまい、悩むことになっています。
これは、師範や上手な先輩の打ちを見て次のことに気がつかなかったからです。
つまり、せっかく左足でしっかり蹴れて一拍子できれいな基本打ちでも、自分の気ままに打っていったのでは、相手がいること相手も人形ではないので一本取れない。
自分が相手を動かせないとそう簡単には一本とれない。
相手に対して、こちらから打突の機会を作る工夫が一本取るには必要なのです。
こちらが打とうとする気を見せたとき相手はどう動くかを知らなくてはなりません
相手が動いた時や、打ちに来た時、すきが出来ているので、そこを打っていくのです。
私も初心者の時に、試しにやってみて本当に一本入ったとき、あれ当たってしまった。と言う感じです。
それが基本稽古の次にくる、地稽古でどんどん試してみることなのです。
打たれないように防ぐとか、打って行ったらあしらわれるので打たないとかしていては時間の無駄です。
どんどん打突の機会を作って試してみて、どの攻めの時に相手はどう動くか体験を積んでください。
基本の打ちが出来、次に打突の機会を作る攻めが出来た人は試合に強くなってどんどんのびていきます。
初心者で始めて、高1で初段、高2で2段取って経験者を追い抜くのはこのタイプです。
小さな面打ち 投稿日: 5月21日(土)12時20分51秒
関大一高生の小さな面打ちの稽古をみていると、差し面になっている人がほとんどです。
速い振りの打ちでなく、振りのない打ちになっている。
面を打つのではなく、面に届けばよいという打ちです。
ただひたすら手を伸ばして、面に向かって飛び込んだだけ。打てていない。
松田師範の鋭く打ち込む小さな面をちゃんと見ていないのかと首をかしげたくなる。
師範の振りが速いので振っていないと勘違いしているのか?
某範士8段によれば、打突の瞬間に手首のスナップで打ち込むとのこと。
手首のスナップということで、手首の力で打とうとすればうまくいきません。
手首のスナップを効かそうとすれば、手首の力を抜いて、打つ瞬間にひじを、素早く小さく曲げ伸ばしして振れと。
そうすれば、自然と手首のスナップが効いた打ちができます。
大きな面と小さな面は技として使う目的が異なります。
大きな面は相手の体をまっぷたつに切る面で、兜や受けた刀の上からでも切り裂く技です。力強さ必要。
小さな面は相手の打ちを裁いた後や、相手の懐に飛び込んでから頭の部分だけ切る技です。素早さが必要。
でも、大きな面も小さな面も打ち込む瞬間に手首のスナップが効いていなくてはなりません。
野球でいえばランナーのいないとき大きく振りかぶりながら投げるワインドアップの場合と、ランナーがいてセットアップからクイックモーションで投げる場合の差ににています。
どちらも、球を放す瞬間は手首の力は抜けて、スナップはしっかり効いていないと、いい球にならずバッターに打ち返されてしまいます。
小さな面は大きな面の最後の打ち込み部分だけを行ったものです。
振りかぶりや大きな踏み込みはありません。
その代わり上手に相手の間合に入り、そこで素早く剣先や手元を上げて打たなければなりません。
いずれの打ちでも、スナップの効いた打ちが勝敗の分かれ目です。
日曜日に近所の小学校の剣道教室にお手伝いに行くと、女の子のやたら体格発育の早いのに驚きます。
聞くところによると、原因はどうやら食品の中に含まれる成長ホルモンらしい。
近頃、畜産では牛に成長ホルモンを与えると成長が早く、肉も柔らかく、乳も量産なるので頻繁に使われているらしい。
食品輸出国の米国では生産効率のため、輸出向け共これが大量に使われているとのこと。
そして、この成長ホルモンで育てられた食品が食卓に登り十数年になるらしい。
この成長ホルモンとは科学的に石油から合成された女性ホルモンで自然界に存在しない構造です。
流れ出たこのホルモンの影響で、日本では川のめだかの90パーセントはめすだそうです。
それで日本では2001年に環境ホルモンとして規制の動きがありますが、食料輸出国の反対もあり、果たしてどうなることやら・・・・。
このままほっとくと、男は女性化し、女はますます早熟になると想定されるようです。
人はホルモンのバランスで精神が大きく左右されます。
これでは、体は男でも、心は女性という人の発生率が、近ごろ上がっても仕方ありません。
剣道のかけ声も、オホホホホ・・・・・とか。
キモー・・・・ィ??。
右脳 投稿日: 5月16日(月)12時58分27秒
昔から文武両道が修養の基本になっていましたが、最近科学的にそれが解明されたらしい。
学問をするときは左脳が活発に働き、音楽や運動をするときは右脳が活発に働くことが脳の研究で解明されています。
最近の研究で片方の脳だけを鍛えるよりも、両方を鍛える方がはるかに努力に対する効果が大きいことが証明されたのです。
ある進学校で音楽、体育を選択した生徒の方が大学合格率が高いのに気づき、全生徒音楽体育を選択させたところ、全校の合格率が上がった事例も発表されています。
最近の進学学習塾でもそろばんや水泳や音楽教室などと提携して学習効果を上げているところもあります。
脳は色々なところを順々に刺激するのがいいようです。
勉強の合間に5分間ほど素振りをして、気分転換とイメージトレーニングと集中力の回復を図るのはいかがでしょうか。
ゴールデンウィーク 投稿日: 5月 2日(月)21時32分27秒
大学受験の運動部の高校3年生にとってこの連休中は6月始めのインターハイ予選をめざす最後の特訓の期間です。
(5月の中頃から早、中間試験期間となり、その後すぐインターハイ予選。)
その為か、あちこちの高校で連休稽古が行われています。なぜか私にもそれらの高校から、参加のお誘いがあるのでわかるのです。
今年は4/29の午後に天王寺高校の連休稽古のお誘いがあって参加してきました。
最後の練習期間になる3年生やレギュラー争いの生徒は相手していてもこわいくらいに気合いが入っていて、こちらも手が抜けません。
1日だけで堪忍してもらいます。(後の連休は家庭サービスと京都武徳殿で過ごします。)
とにかく、今しか稽古できないとわかっている公立校の頭の良い子の集中力と根気のすごさを実感します。
彼らにとって文字通りゴールドに輝く週であればと念じるばかりです。
胴打ち 投稿者: 投稿日: 4月26日(火)21時50分7秒
小手や面に比べて、胴で一本取るのは難しい。経験として難しいのは3点です。
1,小手や面は刃筋が下を向いて、下に振るのであまり刃筋を気にせずにふれますが、胴は刃筋を斜めにして打ち込むので胴に当たった時、刃筋と振った方向がずれていては切れた事に成りません。刀の平で胴を打っても一本に成らないのです。
いい音はするんですけどね。音だけ!旗上がらず。残念・・・・。
2,打ち込んでも上手く抜けない。
真剣と異なり竹刀は切れて胴を抜けるわけではないので、胴に跳ね返った竹刀をすれ違いながら抜くので、打ち込んでから離れる時の足裁きが遅いと、相手に腕で竹刀を押さえ込まれる事が多いです。
3、胴を素早く打とうとすると片手打ちになり、十分な打突と見なされない。
こんなに難しいのになぜ胴を打つかと言うと、すきがあるからと言うことです。
相手が打ち込んでくる、又防ごうとする、どちらの場合でも腕が上がったら胴にすきができる。
しかし打ち込んでも上記の理由でなかなか有効打突になる胴打ちはかないません。
胴を打ったつもりが相手の脇に当たって恨まれるのがおちです。
そこで胴打ちの得意な高段者に密かに聞いた極意を一つ。
相手の振り下ろし筋を見抜いて、その振り筋から体をかわすとしながら胴を打つ。
まあ、体の裁きが不十分な間は、満足な胴での有効打突は、まぐれを期待するしかありません。
能力が高い 投稿日: 4月19日(火)20時43分54秒
一本決めるにはご存じ御の通り、気、剣、体の一致が必要ですが、これは剣道に限ったことではありません。
よく、気は精神力、剣は道具の力、体は体力に匹敵すると言われています。
何事にも、精神、道具、からだ、この3つを上手く鍛えた人が「能力が高い」と言われています。
一番鍛えるのが難しいのが精神力ですが、この精神力を鍛える事を精神修養と言っています。
特に、この10年で再び修養を求められる時代になりました。
それは、欧米めざす画一型社会から、欧米に追いついた手本なき社会に入った日本では、上の命令で動く社会主義型より、個人が修養して新たな価値を見い出す人材とそれを活用する社会の時代が巡ってきたからです。
古来日本では、精神は、「知、情、意」、と考えています。
知は知識、記憶力、思考力など。
情は情感、思いやり、感度力など。
意は意志、我慢強さ、行動力など。
この3つをバランスよくすれば、それぞれうまく鍛えられます。
夏目漱石も、「知に働けば角が立つ、情に竿さしゃ流される、意地を通せば窮屈だ」と比喩しています。
形にはまる 投稿日: 4月12日(火)21時22分34秒
形にはまると言うと、いやな顔をする人がいます。
形と言うと、自由を奪うものとか、画一的なものとか、個性を否定するものと思っているみたいです。
本当にそうでしょうか?
日本の習い事では、師匠がお手本を示してくれた形通りに、やってみる事から始まります。
なぜかというと、現在の力量が、形とどれだけ離れているかを知ることが出来ると、自身の目標が具体化しやすいからです。
次に形にはまってみると、形との差を感じます。
それで足らん分、飛び出た分が、自身の個性、特徴と、知ることが出来ます。
ここで自身の個性を知ることが、次の手を的確に打てる要素になります。
又、形にはまってみると、なぜその形に成るのかの、必然性がだんだんわかってきます。
その形が出来る理由が自分なりにわかってきて、それ以外の場合にはどういう形になるべきかの、応用が出来るようになります。
それで、守っていた形を破って、自分なりに形を応用した動きに成長できるのです。
つまり、形を守ってやったら、なぜその形の様に成ったのか解って上達し、
応用がきくようになり、その結果、形は破られるのです。
いつまでも形にはまっているようでは形を理解したとは言えません。
形は知るために、はまる、そして、形を知ったら破って出てくる。
これが日本古来の稽古法です。
しんどい練習 投稿日: 4月 6日(水)19時37分4秒
こんなしんどい稽古、何でせないかんねん、早く終わったら良いのにと、思ったことありませんか?
私もそういう時ありました。
それは、目標なく稽古している証拠だったんです。
実は、みんな目標達成するために稽古しているのです。
あなたは、どんな目標達成のために稽古していますか?
目標と言われても、大げさな・・・単に剣道しているだけ、と思っていませんか?
でも試合に出たら勝ちたい、昇段もしたい、上手になりたい、と思っているでしょう?
それって実は目標なんですよ。
目標なんて、大げさな、単なる夢ですよ・・・・。
そうです。単なる夢で終わらすか、実現するかは、目標にするかどうかでほぼ決まります。
本を読みたいと思って歩いている人が、その時行こうと決めて本屋を訪ねながら、向かったのと、そのまま何とはなしに歩いたのと、どちらが確実に本にありつけるでしょうか?
そうですね、向かった方、目標にした方が確実ですよね。
目標にしたら、それを達成するために、考え、聞いて、まねして、やってみる。
これが稽古です。
そうした時、しんどいと感じる人もおれば、そう感じない人もいる。
つまり、しんどいと感じるか、感じないかは、個人の主観です。
「こうなるために、これをする。」この思いが強いほど上達し、辛さ感じません。
一度具体的な目標を立ててみましょう。そして達成した自分を思い浮かべて下さい。
4月の大阪私立高校剣道大会で1回戦突破。○○高校レベルには勝つ。
5月の吹田市長杯の一般初段の部入賞でメダルもらう。出来れば○○に勝って優勝。
6月の昇段審査で2段とる。
全国高校総体大阪A地区予選突破し大阪本選に出場する。
(北君、確か今日そう言ってましたよね・・・・・。エ! 誘導尋問だったて?ご謙遜をば・・。)
人は成りたいと思ったら、その方法を考え、やってみて、手に入れる。
ただ、それだけです。難しいことではありません。
しんどいと思ったときは、その成りたい思いを忘れかけているときです。
こんな時それを思い出させて、励ましてくれる仲間は、ありがたいものです。
ですから、仲間は大切にしましょう。身内は大切にしましょう。
指導法講習会 投稿日: 3月29日(火)12時23分46秒
剣道5段以上が参加資格ある指導法講習会に参加しますと、木刀による剣道基本技稽古法の解説があります。特に気になったのが面の打ち込みです。
まづ振り上げながら、右足をすり足で一歩前へ踏み出します。
次に振り下ろしながら、左足をけり出し右足の後ろにそろえます。
意外とこれが出来てない人が目に付きます。高段者と言うのに・・・・。
振りかぶるだけで右足が前へ踏み込めてない人や、振り下ろしたときに左足がけれていない人など、エッと驚きます。
振り上げたときの右足の運び、振り下ろしたときの左足のけり。
これが剣道の基本と言うことでしょうか。
左足かかと 投稿日: 3月25日(金)22時25分46秒
するどい打突の時は左足のかかとが立っています。うしろから見ると左足裏がぱっと見えます。
かけっこで右足を前に出して、よーいドンで走り出した時、左足の指はしっかりと地面をとらえ、そのかかとは、いっぱいに上がっています。
つまり左足でしっかり蹴ろうとすれば指はしっかり地面をとらえ、足裏は地面に直角に近い角度に成っています。蹴り出す瞬間は足裏がよく見えます。
その時左手はおもいっきり前へ突き出しだし振り上げています。
右手はひじが後ろに引かれ上がっています。
これがスタートする時の自然な体の動きです。鋭いスタートを切ろうとすれば誰でもこうなります。
ところが剣道の飛び込み面のスタートと成ると、こうは行かない人が多いです。
右足だけが浮いて、左足のかかとが上がらず、左手は前へ出ず、右手だけが上がっている人が多いのです。
かけっこでその次の動作はどうでしょうか?
走り出しのスタート後、左足指はけり出して地面から離れ、右足は指から着地して、右ひざが右足指の上に来たとき、かかとは降り、浮いていた左足は右ひざが前へ出ると同時にひざ蹴りでもするように前へ寄ってきます。
思いっきり前へ突きだした左手は後ろにひじ鉄でもくらわせる様に、振り下ろされます。
この動作は振り上げた剣を振り下ろす動作と似ています。
ところが剣道になるとうまく出来ず、スタート時きっちりと左手が振り上がっていないと、振り下ろせないので、体を倒しながら手を伸ばして、当てにいっているのがよく見受けられます。
うまく行ってない時は、手と足の動きをバラバラにチェックするのではなく、剣の振り上げ時の手と足の動き、振り下ろし時の手と足の動きというように、振り上げと振り下ろしに分けてチェックし、確認する事が大切です。
そしてその後、振り上げと振り下ろしの動作が一連の動作で一拍子になるように、道場の端から端まで、小手面胴、小手面胴と連続して、振り下ろし時に左足でしっかり蹴れるのを確認しながら、振って行きましょう。
きっと、左足かかとが立って、足裏がぱっと見えてくるでしょう。
実はこれは松田師範の道場の上達練習方法です。ここだけの話ですが・・・・し〜っ。
右足かかと 投稿日: 3月23日(水)21時20分11秒
右足かかとがちくちく痛い。かかとに近い土踏まずが痛い。右足かかとの骨膜炎です。
稽古に行くとかかとにサポーターしてる子が多い。
右足かかとから着地したため、かかとの骨の打撲で、骨膜炎を起こしているのです。
正しい右足の踏み込みが出来ていないからです。
ちょっと上達して来ると、右足の踏み出しが強くなって、その時正しい右足の踏み込みしてないと右足かかと痛めます。
右足の踏み込み時、右足の指先から先に地面に着き、クッション取りながらかかとの着地に至る。
別の言い方では、右足指が地面を掴みながら、前後に開いてる股をかにばさみの様に閉じると、浮いている左足が右足の方へ寄ってきて、その時右足かかとをゆっくりおろす感じです。
音させないで右足指先から着地する練習をして下さい。
右足のけり出しと、左足の踏ん張りと腰の入れ方、左足のけり出しの加減がわかってきて、スムーズな右足先からの足の運びが出来るように成ります。
飛び越えたりジャンプして着地するのに、かかとから着地する人はいないのに、不思議と剣道で飛び込み面の時は、何も考えず右足かかとから着地する人が多いのです。
足踏みですら指先から地面に足つけるのに不思議ですね。
骨膜炎に成ると1週間程度、安静にすると直ります。痛い所に、お灸をすると骨膜の炎症に効きます。
下手な踏み込みを続けて打撲が続くと炎症がひどくなり水がたまって骨膜剥離やくるぶしの関節傷害で歩行困難に成ります。
歩くたびにとても痛くて剣道どころではありません。こうなると直るのに3年はかかります。
実は私は高校1年の5月にこうなって、剣道部を退部致しました。
1年間、足を引きずりながら歩いていました。高校3年の時まで走ることも出来ませんでした。
もっとも、それまで土のグランドで練習してたのが、体育館の使用許可が出たので、体育館のコンクリートの床で2ヶ月飛び込み面の練習をさせられた影響が大きいです。
土のやわらかさに慣れた身にコンクリートの堅さを予想出来なかった。
上級生は正しい踏み込みが出来ているのでコンクリートの床と言えども、かかとを痛めないので、この様なことは予想できなかったと思います。
ただ、体当たりで吹っ飛んで転んで腕の骨を折ったり、頭を打って意識不明になったりと大変だった。体育館の各クラブは故障者続出だった様です。
最初は因果関係がわからなかった様ですが、結局10年程経って木の床に貼り替えられました。
その体育館も今はもう無く、安全な新しい体育館に建て替えられています。
3/20昇段審査終えて 投稿日: 3月21日(月)12時51分39秒
初段合格した高1、芳賀くんの切り返しは、気をつけなければならないと指示した事項を、完全にこなしており、立派なものでした。
弐段合格の高2、中江くんは、先の攻めからの面の伸びがよく、気迫負けせず、実技終了時点で合格を確信出来るものでした。
参段合格の高2、二宮さんは前回の反省からか、積極的に攻め、初太刀でしっかりとした振りで相手の出端を押さえ、優位性を印象付けた。相手の中途半端な打ちにも、同調せず、応じ技を出そうとしていた。
相手はきれいな剣道をしていたが、終盤単調な攻めに成ったところを気迫がとぎれなかった二宮さんがうまく、あい面を打ち込んでいた。
1分間の時間に十分優位性がアピール出来た内容だった。
今回今一歩の人や、今の調子では及ばない人も次回までにここを鍛錬すればよいと思うところが自覚できたと思います。アドバイス希望あれば致します。申し出て下さい。
次回審査は6月です。でもそのころは今回の教訓は遙か昔の事に成っているでしょうか?
2段 投稿日: 3月17日(木)22時02分6秒
3/20の大阪中央審査会(初〜5段)に関大一高、一中より7名が2段を受験します。
全員の合格を祈ります。
さて初段と2段の差はどこにあるのでしょうか?
以前から、面がきっちり打てれば初段は通る、きっちり小手で一本取れる様になったら2段受けても良い、と言われてます。
やはり初段は基本です。右手でふっていないか?、手と足は合っているか?、一足一投の間合いから打っているか?左右に切り返せるか?等です。
2段はこれが出来た上で、先の攻めで自分から打突の機会を作っているか?、その打突の機会でちゃんと打ち込めているか?、技を出した後残心してすぐ、構えて攻撃に移っているか?まで審査される・・・・と思います。
よって初段と2段の差は
1先が取れるか。2出端を打っていけるか。3小さな打ちが出来るか。4残心からすぐに攻めに移れるか。と思っています。
ちなみに剣先であしらて圧倒的な打突で一本取れれば3段に近いと言われていますので、剣先で間の取り合い、中心の責め合いから「先、後の先、先々の先」が取れ小さな打突と言えども強さと速さの伴う打ちが出来るのが3段と思っています。
おそらく2段と3段の差は
1剣先で間と芯コントロール出来るか。2「3つの先」で打突の機会を作れるか。3小さな打ちでも強さと速さを伴うか。と思っています。
稽古の時に漫然とするのではなく、段取得に関係無くても、その様なステップがあると自覚して難易度を一つ一つクリアーしていくのが上達の早道ではないでしょうか
祝卒業免許皆伝虎の巻 投稿日: 3月15日(火)19時57分41秒
関大一中剣道部3年の諸君、本日3月15日卒業との事、誠におめでとうございます。(花吹雪舞う、くす玉割れる・・・)
一中剣道部卒業証書の代わりに剣道免許皆伝虎の巻の一部をそっと伝授します。
私が今まで7段や8段の先生方100人以上に長年の間、一杯飲ませて聞き出した剣道の極意の一部です。元手がかかっているのでおいそれと公表したくはないのですが、かわいい後輩の卒業にあたり、ここに伝授します。
他言は無用ですぞ・・・・・・・・・以上は前振りの冗談です。
打突の機会の部
1)先々の先を取ると、受けた所を打てる。仕掛け技と言われる。小手面2段打ちが代表です。
(小手面2段打ち)さきざきを考えて面打つ前に小手打って、小手受けさせたら相手の剣先ずれるので、受けた所をあいた面を打つ。小手打ちの仕掛けが効いて面打てた。
相手が小手を中途半端にしか受け切れない程のこちらの鋭い小手の打ちが必要。
結局、さきのさきの事をふまえた前への動きでした。
先や後の先では動じない高段者に有効。又は相手の動き読める者に有効。
2)先を取ると、おこりがしらを打てる。出端技と言われる。出端面が代表的です。
(出端面)相手を興(起)らせてこちらに向いている相手の剣先がはずれた所を面に打つ。
相手に、あっ来た打たれる・・と思わせる程の攻め必要。
結局、打ってくると思わせる前への動きでした。
同程度の実力の者に使う。実力同じだと先の方が有利。
3)後の先を取ると、尽きた所を打てる。応じ技と言われている。面抜き胴が代表です。
(面抜き胴)相手に中途半端な面を打って来させて、身を開いてかわす。相手の剣先は打ち切って死んでいるので、かわした身のすれ違いざまに胴を打つ。
相手にあせって打っていこうと思わせる程の、捨てきったゆとりのある攻め必要。
結局、今なら打てると相手があせってしまう様な前への動きでした。
相手ががむしゃらに打って来た時有効。
もっと詳しい、詳細解説は高校卒業まで秘密です。自分で考えてね・・・・・。
先の打ち 投稿日: 3月14日(月)12時42分7秒
地稽古でいつ打ってよいか迷っている子はいませんか?
いつ打ってよいかわからず、まるで気が向いた時に打っている様な子が見受けられます。
そういえば、私も昔はそうだったなぁ〜〜〜〜。はずかし〜〜〜〜ぃ。
体験者として、「地稽古ではまづ、打突の機会を自分で作って打つ事をしなければ強くなりません」と言えます。
打突の機会は、興り頭(おこりがしら)、受けた所、尽きた所の3つですが、まづおこり頭を打つ代表の、出端技を地稽古でマスターする事をお勧めします。
なぜなら、相手のおこり頭を誘う事が、打突の機会を上手に作って、剣道が上達する決め手だからです。
そして、興りを誘う為には、実は先の攻めが必要です。
大抵の人は最初は、先の攻めの意味がわかりません。私もそうでした(ク〜、泣き)。
さて先とはどういう事でしょうか?。さきに打つ?。単にさきに打つ事ではありません。
相手の構えが正しければ、そのまま打っていけば、突かれてしまいます。
それで相手の構えを崩すために、相手に興らす訳です。
相手に先に近づくと、相手はある所まで近づかれたら、大抵は打ってくるか、守ろうとします。
その時、構えが崩れ、こちらの喉に付けている相手の剣先が、はずれます。
そこを打って出るのが、相手の興りをとらえた出端技です。
よって、先の攻めとは相手より先に打突距離に深い入り、相手の興りを誘う動作と言えます。
(厳密には興りだけでなく、いつきや逃げ等も誘いますが説明は省略します。)
最初は打ち遅れていても、こちらが出る、相手が反応する、すかさず打つ。
これを機械的に繰り返していくうち、いつしか出端が打てるように成ります。
どこまで、近くに踏み込めば相手が興るか身に付いてくるうえ、打ち出すときの腕の振りや体の出がわかって、小さな打ちが無理なくシャープに成ってくるからです。
打たれることを恐がらずに、地道に繰り返しましょう。
やがて地稽古で先の攻めを見せて、打突の機会をうまく捉えて、出端面や出小手が確実に打てるようになると2段もすぐそこと言うわけです。
2段審査では先の攻めを見ています。大きな声では言えませんが・・・・シーっ。
中学で2段、高校で3段 投稿日: 3月11日(金)21時52分12秒
中学の時に2段まで取ったとか、高校生で3段に成ったと言えば、強かった証として誇れます。
普通の子が中学から剣道を始めてまじめに練習したら卒業までに取れる所に初段というものは置いてある。
また高校でも続けて、まじめに練習したら卒業までに取れる所に2段は置いてある。
よくその様に言われております。
だから、卒業までに段位が取れなかったら、まじめに稽古していなかったか、稽古の仕方悪かったか、先生の指導がまづかったか、本人が段位を取る気が無かったのいずれかで、それ以外で、まじめにやっている子が段位取れなかったと言うのはまずありませんでした。
しかし最近はそれも少し様変わりです。
中学クラブの低調や、多種なスポーツの登場で学校剣道の減少と、若年からの剣道教室への参加で状況がだいぶ変わってきています。
年に2回あった学校対象の昇段審査が無くなり、一般審査と併合されてしまいました。
学校でのレベルだけでは判定しづらくなってきたのです。
以前は面がきっちり打てれば初段は通る。小手できっちり一本取れるようになったら2段を受けても良い。剣先で相手を適当にあしらって圧倒的な打突の強さで一本を取り出したら3段に近い、と言われておりました。
昇段に関するこの感覚は今でも変わっていないと、私は思っています。
ちなみに、2段審査では、小手は打てるのだが、それでも大抵は面で一本を取って昇段しています。
3段審査では剣先でしのごうとせづ、相手にしのがす攻めと打突で、1本取って昇段しています。
ひぇ〜、むつかし〜〜〜。でも審査に受かったときは、大抵その様に成っています。
剣道八段 投稿日: 3月 2日(水)12時57分16秒
2月27日(日)に8段の先生方6人との稽古会に参加しました。
八段をめざす七段の先生方約50人に混じって厚かましくも五段の私も八段の先生方にお稽古いただきました。
いつ見ても七段と八段の1段の差は歴然としていて、初心者と初段の差くらいに感じます。
千人以上の七段の中から一番強い人が、やっと八段になれると言われているくらいですから。
八段の先生方の打ちはそれぞれ個性があり、同じではありませんが、共通していると感じるところもあります。
それは、面打つときの振り上げた左肘の高いこと(肩の高さ)と、その後の振り下ろしの剣の強いことと速いことです。
それはまるでジェットコースターが一旦上がってから急降下する時、勢いがすさまじいのに似ています。
どうやら、左肘の上げが低ければ、振り下ろした時に、剣の強さと速さが思うように出ない様です。
横で見ていると、左肘が上がる時はゆっくりしているので、そこを打てばと思うのですが、いざ剣をまじえると、八段の先生の上げながら踏み込んでくる勢いがすごく、簡単に打ち込んでいけるものではありません。
そこをなんとか頑張って打ち込んでも、八段の先生の振り下ろしの剣の速度の方が強く速く先に打たれてしまいます。
よくインターネットの剣道サイトに左肘の上げを低くして、剣先の動きを最短距離で移動する打ちが紹介されています。
それも悪いとは言いませんが、その上を行く八段の先生には、おみごとと言うほかありません。きびし〜〜〜〜〜ぃ。
部長不在 投稿日: 2月21日(月)23時32分8秒
2月20日に吹田市中学校体育連盟の大会が行われたので応援に伺いました。
各中学校の行動の内、関大一中の行動が一番遅くまとまりが無いのを見てがっかりしました。
だれがまとめと思いきや、部長と副部長の男子部員2名が先月の昇級審査後、退部してしまったとのこと。
退部すると知って、ケンケンがくがくの騒動でもあった?・・それも無し。
辞める方も、辞められる方もなんと無責任な・・・。部長や副部長が辞めたというのに。
もともと部長なんてどっちでも良いと考えているらしい。先生の連絡役としか思っていないのか?あきれてしまった。
部長は何のために必要か、自分たちのためとは思いもつかないようだ。
まとめ役や責任者は大変だって?そんなことは当たり前です。
先輩が果たしていてくれたのです。次はあなた達の番だったのです。
同期で卒業するとは・・・そういうことなのです。
がんばれ2年生男子。
試合 投稿日: 2月15日(火)21時32分29秒
私は負けると悔しいので試合はしたくありませんでした。
そして自分なりに一生懸命練習したらいいと思っていました。
剣道を始めた1年後の中学2年の時に他校合同稽古での練習試合の時、同じく1年目の中2の子に負けて愕然としました。
一所懸命練習したのに・・・。2度と試合はしたくない・・・。
後の合同稽古のその子の練習を見て、その子から見たら私の練習は一生懸命にはほど遠いと悟りました。
自分なりに一生懸命のつもりであって、それで成れるレベルが分かっていなかった。
自分が成りたいレベルと一生懸命さのレベルを知らずにいた。
相手はもっと頑張っていたんだな〜と、今思うと貴重な経験でした。
試合をすることによって自分のレベルを知ることが出来ます。
あなたはどのレベルで満足しますか。
2月19日 投稿日: 2月 7日(月)21時46分59秒
本年の2月19日は3月20日の剣道中央審査会(初段〜5段)の申し込み締め切り日と、5月連休(3日〜5日)の京都武徳殿での高段者の立ち会い(演武)の出場申し込み締め切り日です。
中央審査会の学科問題は、
必須 どちらか選択
初段 剣道と礼儀 @かけ声A目付
2〃 剣道練習上の注意点 @残心の要点A三つの許さぬところ
3〃 つばぜり合いの心得 @打突の機会A気合
4〃 剣道修業上の心構え @三殺法A剣道上達の要点
5〃 日本剣道形の効果 @かかり稽古の留意点A手の内
です。今週から受け付けています。
さて錬士以上の方が出場申し込めるのが京都の演武会(昇段審査会とはまた別)です。
例年出場締め切り期限日が早いのでもうそろそろと思ったら期限過ぎて出場出来なかったと悔やむ高段者がいます。
全国から錬士六段以上の高段者が出場申し込み、その演武試合は3日間に渡って行われます。
特に8段の組の演武はすばらしいのですが、8段の組の演武は例年は5月6日の連休後に行われるので観戦出来ない事が多いのです。
でも本年は5月5日の休日に行われるので休暇を取らなくても観戦することが出来ます。
今年はラッキーと今からうきうきしています。
ちなみに例年、一高剣道部のOBも出場しています。8段の組ではありませんが・・・すまんの〜〜〜〜。
追伸 1/30昇段審査終えて 投稿日: 1月31日(月)13時46分53秒
すみませ〜〜ん。弐段に合格した高2女子塩山さんの報告を抜かしておりました。
剣道ママさん。 のおおせの通りです。
他人様の子とは言え、落ちた子の事が気にかかり、合格した人の事までフォロー仕切れておりませんでした。
それといつもの実力が出ていない子には、こんなものではないもっと力あるのにと、はらはらした分、合格したとたん安心して、次行ってしまいフォローに至りませんでした。
塩山さんの弐段女子審査順は最後の方のだったので待ちくたびれるのですが、気迫気合い共に十分で相手も相当強かったのですが、相互に有効打突を出し合い、逃げたり引っかけたりすることなく、常に先を取って適切な間合いから打ち込んでいき、塩山さんやや有利で1分を終えました。普段の良いところを十分に出し切った互角審査でありました。
実技合格の時の塩山さんの涙に、弐段昇段に向けて日頃、一生懸命稽古したことが報われて、「おめでとう」と言う言葉もつい涙声に成ってしまいそうでした。
初段合格した小森さんの切り返しは、気をつけなければならないと指示した事項を、完全にこなしており、立派なものでした。よかったねと言うと涙顔でうなづかれ最後まで頑張った甲斐がありました。
弐段合格の乗上さんは肩に力が入っていて、いつもの剣筋ではありませんでしたが、普段一生懸命稽古しているので、相手の子も顔見知りの強い子でしたが、そんなに有効打突をもらうことなく合格したのはさすがでした。
やはり、さぼっていて簡単に合格させてくれる審査ではありませんね。
(無題) 投稿者: 剣道ママさん。 投稿日: 1月30日(日)23時13分4秒
こんにちは!初カキコミいたします。子供が剣道をやっているもので、ココにきてみました。これからは、またよろしくお願いいたします。
関大一中・一高の生徒さんは、たくさん合格していらっしゃるんですね。感心します。うちの子供にも、しっかり言っておかないと!!
でも・・・終わった後の反省も大切ですが、もう少し合格した子たちを褒めてあげは??
では、またちょくちょくおじゃまさしてもらいます。さようなら。。。
1/30昇段審査終えて 投稿者: ホームページ担当幹事 投稿日: 1月30日(日)21時44分46秒
ケンドー娘。U さん 寒中お見舞い申し上げます。本年もどしどしカキコお願いします。
さて一中一高生徒の昇段審査の結果ですが、3名が実技に合格しました。
初段を受けた中3小森さんは切り返しがよかったが、互角対戦ではやや劣勢で心配しましたが合格。!!!!
やはり切り返しが大切だった。
初段受験高1男子は切り返しの最後の面で通り抜ける時、早く右に流れ、互角対戦では最後打ち込まれたか不合格。
2段を受けた中3男子は稽古不足がたたって振りが弱く不合格。
川上君は気合いは良かったのですが、前半に相手に有効打突を3本もらい、最後に1本いいのを打ったのですが及びませんでした。
おしかった〜〜〜〜〜。残念。
中3乗上さんは元気はあったが、気負い過ぎでいつもより右手に力入っていた為、有効打突少なかった。しかし常に先を取っていたのが評価されたか合格。
ただ、形の4本目で脇構えから打ち込んだ後、間合い近すぎ、うまく返し面出来ず、審査員に止められ再度4本目行い無事終了。間合いの調整は打立ちの役目なので、仕立ちの乗上さんは何とかいけるような気がする。
3段では有効打突少なく残念な結果でした。
悔し涙の生徒はその気持ちで次回3/20目指し稽古がんばって〜〜〜〜〜〜。
お久しぶりです。 投稿者: ケンドー娘。U 投稿日: 1月29日(土)23時22分8秒
皆さんお久しぶりです☆そして遅くなりましたが、明けまして
おめでとうございます★☆明日は昇段審査のようで…受ける方は
頑張ってください!!ケンドー娘。さんも受けるんですよね??合格
することを祈っておりますっ(*^U^*)ホームページ担当幹事
さんのアドバイスをしっかりと読んで明日に備えましょう♪笑 あ、
もう遅いですかね=3笑
お年玉はもういつのまにやらどこかにいってしまいました。笑 自分
では使わないように気をつけてたんですけどねぇ…。私もケンドー娘。
さんを見習って、遅いですが今年の目標を立てたいと思います!!試合で
みんなを引っ張っていけるようになることですかね♪今年も頑張ります!
明日は昇段審査 投稿者: ホームページ担当幹事 投稿日: 1月29日(土)21時19分45秒
大阪で剣道昇段審査を受験する皆さん、こんばんは!
持ち時間は1分で、礼から始め、止め、礼までで1分です。
後の順番の方で時間が無くなると、50秒くらいに削られる時もあります。
その時間で、自分の良いところを出さなければなりません。
試合ではありません。段位に合わせて基本が出来ているか見られます。
常に気力を充実させて、内間に入ったら相手に一気に打ち込んで行かなければなりません。
打ち込んでいくうちに、間合いが近くから打ち込まない様、注意しましょう。
当たっても間合いが近すぎては一本の打ちではありません。減点です。
気迫で相手を圧倒するくらいでないと、昇段はおぼつきませんぞ!!!!
がんばれ受審査の皆様、がんばれ一中、一高の諸君!!!!
集中力 投稿者: ホームページ担当幹事 投稿日: 1月19日(水)20時57分14秒
よく頭の良い子は剣道が強いと言いますが、集中力の強さが頭の良さを生むのではないでしょうか。
剣道は直接組み合ったり、当たりあったりは少なく、剣を介しての技で勝負するので、勝負では、体力よりも集中力の差が出るように思います。
勉強するときに集中することを心がけていれば、剣道の集中力アップにも役立つのではないでしょうか。いやな勉強も剣道に役立ちますぞ・・・? 一気に教科書や参考書と勝負!!
受験生がんばって下さい。パスしたら剣道部に入ってやってくださ〜〜〜〜〜〜ぃ
小泉OB殿 投稿者: ホームページ担当幹事 投稿日: 1月17日(月)11時34分59秒
関大一高、昭和55年3月卒、剣道部OB小泉雅之さん、連絡ありがとうございました。
消息了解しました。名簿の修正致します。
OB参加いただく練習日は第2土曜日、1時より3時まで、体育館の剣道場で可能です。
2月は入試の為、変則に成る可能性ありますので、事前に剣道部顧問松本先生に連絡下さい。OB各位の参加をお待ちしております。
消息 投稿者: 小泉 雅之 投稿日: 1月16日(日)20時31分41秒
H59/3,法学部卒→住友銀行入行(現三井住友BK)
住所・宝塚市武庫川町5−40−403
卒業生が参加できる練習日程を教えて下さい。
高校新人戦会場 投稿者: ホームページ担当幹事 投稿日: 1月11日(火)09時31分7秒
ホームページで高等学校新人戦の会場の表記訂正しました。
男子団体は岸和田総合体育館、女子団体は交野市総合体育館です。
なお、府下ベスト8になった女子3年が引退し、2年2名、1年0名のため残念ながら女子団体の参加はありません。さみし〜ぃ。だれかおりませんか〜ぁ!!!!!
賀状感謝 投稿者: ホームページ担当幹事 投稿日: 1月 5日(水)12時56分16秒
新年あけましておめでとうございます。
早々にメッセージいただき誠にありがとうございます。
本年もどしどしメッセージのほどお願い申し上げます。
また、関大一中剣道部の皆さん、年賀状ありがとうございました。
どこで住所がばれたか?さては忍者か?
とにかく、本年もお稽古よろしくお願いします。
追伸。。。 投稿者: ケンド−娘。 投稿日: 1月 3日(月)16時46分57秒
忘れてました。。。
年の初めに目標をたてておきたいと思います☆
とりあえず最初ゎ今度の1月30日にある、昇段審査で絶対!昇段する!!!にしておきます(*^U^*)
目標を決めておくことって大切ですよねぇ〜。笑
あけましたぁ〜2005年☆ 投稿者: ケンド−娘。 投稿日: 1月 3日(月)16時42分10秒
2005年一発目ゎ元祖ケンドー娘。がいかせてもらいます!!笑
お正月ですねぇ☆私は部屋にこもり、食べっぱなし・・・おかげで、Asも体重が増えてしまいました・・・。だから、今年も剣道をがんばり体重を落としていきたいと思います^^;前から思っていたコトなんですが、剣道って痩せるんですか??有酸素運動とゎ思えないのですが(>_<)
まぁさておき、お年玉ゎ私ゎ地味に貯金しますね。。。笑 大金なんで、自分で持っていると歯止めがきかなくなってしまうので。汗
でゎ以上ですっ☆今年も、剣道等を通し頼りない私ですが、よろしくお願いします↓↓
年末におじゃま 投稿者: 剣道おっさん(^0_0^) 投稿日:12月31日(金)08時19分7秒
しま〜す(^○^)/剣道おっさんで〜す。
お正月ですね。受験を控えた諸君にはゆっくりする時間はないようですが、まだまだ「正月は遊ぶぞ〜っ」というみなさんは、いったいどんなお正月を過ごすのか、過ごしたのかを教えてもらえませんか?
ちなみにおっさんは、3日のみ剣道のお稽古はありませんので、2日の夜は思いっきり夜更かしして、昼過ぎぐらいまでゆっくり寝ていようなんて思っています。メチャおっさんやね(~_~メ)
4日からは道場の寒稽古が始まりますので・・・・。
あ〜ぁ忙しいなぁ(-_-;)でも好きだからねぇ。
あっ追伸だ〜。お年玉の使いみちなんかも教えて頂戴ませ(^0_0^)
では、よいお年をお迎え下さいm(__)m
年の終わりに 投稿者: ホームページ担当幹事 投稿日:12月29日(水)20時12分0秒
2004年の仕事も終わりおかげさまであと数日で大晦日と成りました。精一杯生かして頂き感謝と共に仕事と家庭と社会への使命を果たせたか、それぞれの場面での相手の顔を思い出して至らなかった時もあったと自分の弱さに反省しています。客や家族や生徒は正直です。すぐに顔に出してくれます。お陰でよく今年もなるほどと教えてもらった。感謝
それでは皆様、よいお年をお迎え下さい。
あ〜ごめんなさい(>_<) 投稿者: 剣道おっさん(^0_0^) 投稿日:12月19日(日)22時32分5秒
誤解を招いてしまいました(^^ゞ反省
来年卒業する3年生女子3人が・・・ということでした。ごめんなさいm(__)m
新チームは初段男子2人、1級男子1人、初心者男子1人、初心者女子3人ということになりました。
な〜んか弱小自慢になっていますねぇ(^0_0^)
お祝いのお言葉をありがとうございました。
子供たちと一緒に泣いて笑って頑張りたいと思います。これからもよろしく(^0_0^)/
遅い時間に失礼します 投稿者: ケンドー娘。U 投稿日:12月19日(日)00時41分6秒
お久しぶりです(*^U^*)剣道おっさんさんおめでとうございます☆
そして合格した生徒さん達もおめでとうございます!!二段を受けて…って
全然弱小じゃないじゃないですかっ!!まあなにがともあれおめでとうござ
います★
おめでとうございます。 投稿者: ホームページ担当幹事 投稿日:12月16日(木)19時10分18秒
剣道おっさん(^0_0^) さん
おめでとうございます。うれしいお気持ちお察し致します。
生徒の前でうんと喜んであげて下さい。
よかったですね。
みなさまの激励のおかげで 投稿者: 剣道おっさん(^0_0^) 投稿日:12月16日(木)08時18分59秒
「弱小」剣道部の男子が、先日行われました昇段審査会でみごと初段に合格する事ができました。
(3人受審して2人合格)ちなみに二段を受審した3人の女子は残念な結果でした。
新チームとなって男子4人、女子3人しかおりませんが、これを機会に頑張りたいと思います。
ありがとうございました(^0_0^)
垂直なら両手で重さ500g 投稿者: ホームページ担当幹事 投稿日:12月15日(水)13時01分4秒
Y.Kさんメールありがとう。残念ながらはずれです。
答えは、
500gの竹刀を縦に(垂直に)して両手でつかむと両手で重さ500gです。
仮に均等にだとそれぞれ250gづつと言うことになります。
(ただし重さに対しては500gですが、滑り落ちない程度に握る力を出す必要あります。普通は左手で握ります。)
刀を水平にして中段に似た構えで持つと右手1kg、左手500gの力必要で、
刀を垂直に上段に似た構えで両手で均等に持てば250gづつの力必要(握る力もいる)と言うことになります。
つまり構え(刀の傾き)によって手にかかる重さが変わると言うことです。
さて、この様な中段から肩の回転で徐々に振りかぶった時、手の力を徐々に抜かずに、始めの中段の時の力を両手にかけているとどうなるでしょうか?
もちろん構えが崩れます。どう崩れるでしょうか?
あ、時間となりました。また次に。
そして又問題 投稿者: ホームページ担当幹事 投稿日:12月13日(月)22時52分40秒
500gの竹刀なのに何で右手に1kg、左手に500gかかるねん?
と思われましょうが、その前に引き続き問題です。易しいですから心配しないで下さい。
問題2
500gの竹刀を縦に(垂直に)して両手でつかむと両手には何gかかるのでしょうか?
まずは答え 投稿者: ホームページ担当幹事 投稿日:12月13日(月)09時27分11秒
答えは、
長さの1/2の所に重心のある竹刀の1/4の所を右手の平に乗せ、左手で竹刀の端を握らずに支えるだけにして中段にかまえます。竹刀が500gとしますと、右手には1kg、左手には500gかかります。
さてどうしてでしょうか?
ヒントでピント 投稿者: ホームページ担当幹事 投稿日:12月 9日(木)21時41分16秒
すみません(^_^;)ヒントを忘れてました。
公園のシーソーを思い浮かべて下さい。
シーソーの中央の支点に右手の平が相当します。シーソーの端に500g、反対の端を左手で力を加えバランスを取る人・・ヒト・・・ヒント・・え〜〜ヒントでピントきましたか?
寒ぶ〜。
それではもう一度問題です。
長さの1/2の所に重心のある竹刀の1/4の所を右手の平に乗せ、左手で竹刀の端を握らずに支えるだけにして中段にかまえます。竹刀が500gとしますと、右手、左手には何kgづつかかるでしょうか。
流石っ!! 投稿者: ケンド−娘。 投稿日:12月 8日(水)22時44分25秒
スゴイですねぇVさんっw流石ですっw
もぅ私なんて・・きっと受験のときなんかだったらできてたんだろうなぁ〜。。。
尊ケイしちゃうわぁ〜☆笑
HP担当幹事さん、また解答と解説をよろしくお願いしまぁす^^↑
ズバリ解答しました!笑 投稿者: ケンドー娘。V 投稿日:12月 8日(水)22時28分36秒
担当幹事さん難しい問題ですね/汗 アホなんで合ってないと思いますが一応答え書いときます(^皿^;)左手が250g右が125gになったんですが・・・↓理数系は解けないんで自分のアホさがバレてショックです/涙
(無題) 投稿者: おやじ 投稿日:12月 8日(水)22時25分32秒
こんな問題わかりまへんわぁ〜。お手上げっ。
ここで問題を一つ 投稿者: ホームページ担当幹事 投稿日:12月 7日(火)21時13分21秒
ケンドー娘。シリーズ?のみなさまカキコありがとうございます。
お礼に問題を一つ。
長さの1/2の所に重心のある竹刀の1/4の所を右手の平に乗せ、左手で竹刀の端を握らずに支えるだけにして中段にかまえます。竹刀が500gとしますと、右手、左手には何kgづつかかるでしょうか。
また、おじゃま 投稿者: 剣道おっさん(^0_0^) 投稿日:12月 7日(火)12時19分53秒
ケンドー娘。シリーズ?のみなさまm(__)mペコリ
これだけみなさんに激励されますと、いやでも勇気と元気が湧いてきます。(^○^)/
あまりの負けっぷりに少々へこみ気味になっておりましたが、「継続は力なり」を心に決め、より一層基本を大切に頑張りたいと思います。ありがとうございましたなり〜(^0_0^)
再び参上です!笑 投稿者: ケンドー娘。U 投稿日:12月 6日(月)18時57分49秒
私が見てない間にこんなに仲間が増えてるとは思ってもいませんでした!笑
Vさん、Wさん、剣道おっさんさん、始めまして★(*^U^*)みなさん剣道を
やってらっしゃるんですね☆。。。実は私も剣道をやってます!!私の学校
の部員も全員中学から始めました。人数も決して多いとは言えません。でも
気合だけはどこの学校にも負けないという気持ちで一生懸命練習に励んで
ますっ!!!だから剣道おっさんさん!!!共に頑張っていきましょうっ☆★学校は
違いますがお互い勝利を目指していきましょうっ(炎□炎)/
お久しぶりです。 投稿者: ケンド−娘。 投稿日:12月 6日(月)17時09分44秒
HP担当幹事のかた、お返事ありがとうございました。また、楽しみにして待っています。
あと、Vさん感動しました。また、私も練習試合などをして頂きたいです☆共に頑張りましょう!!私たちも、初めの方は「弱小」と言われ辛い思いをしていました・・・ですが、練習を重ね素晴らしい師範そしてご指導の元で、今はそのようなことは言われなくなったと思います。
剣道おっさんさん!一生懸命やっていれば絶対!強く、上手になると私は、思います。
だから、一緒に頑張りましょうっw
なんだか、偉そうなコトを言ってしまってすみませんでした^^;
再登場! 投稿者: ケンドー娘。V 投稿日:12月 6日(月)16時21分47秒
こんにちは(^^)また来ました。剣道おっさんさん、コーチしてらっしゃるんですか!!大変そうですね(^^;)でも生徒さんが一生懸命なのはあなたが良い師範だからだと思います。自分も中学から始めました。幼少から剣道を習っていた人たちには今でもかないませんが、私にはあなたの生徒さん達と一緒で素晴らしい師範がいてくださるので何回負けても「また頑張ろう」と思えます!!!そしていつの日か剣道歴の差をも吹き飛ばせるぐらい強くなろうと思います。剣道おっさんさんの生徒さん達にも色々な人たち(もちろん関大一中生とも)と剣を交えて強くなってもらいたいです。ご指導頑張って下さい!!
ケンドー娘。シリーズはWまで続いてるんですね/笑
はじめまして! 投稿者: ケンドー娘。W 投稿日:11月27日(土)17時59分27秒
こんにちわ!ケンドー娘。Wです!!いつもこのHPを楽しく見させていただいてます!
HPの運営大変でしょうけど頑張って下さい(*^-^*)
おじゃまします 投稿者: 剣道おっさん(^0_0^) 投稿日:11月25日(木)22時19分0秒
ほんと楽しいHPですね(^0_0^)
部員の沢山いらっしゃる部活は羨ましい限りです(^_^;)
私のコーチします中学は文字通り「弱小」なんです(>_<)全員中学からはじめたんです。
10人にも満たないんですけど、でもみんな一生懸命なんですよ。
いつの日か関大一中の皆さんにお稽古をお願いできるように頑張りたいと思っています。
これからもちょくちょくお邪魔させていただきたいと思っています。よろしく<(_ _)>
ご声援感謝 投稿者: ホームページ担当幹事 投稿日:11月25日(木)08時56分11秒
ケンドー娘さん。ご声援ありがとうございます。
仕事で出張しておりましてカキコされているの気がつきませんでした。
現役の写真は現役のページの下の方に少しだけ入れています。スクロールが面倒ですが・・・。ただ写真はメモリ食うのでプロバイダーのメモリ無料サービス領域を超えないように写真を制限しています。プロバイダーの無料領域も拡大されてきているのでプライバシーを考えながら写真を増やしたいと思っています。
これからもカキコお願いします。
なんだか、感動っw 投稿者: ケンド−娘。 投稿日:11月23日(火)22時27分41秒
なんか、名前が続いているようで。笑
2回目の投稿です☆よろしくお願いします↓
みなさん剣道がんばってるんですね(*^^*)
私も、関大の現役学生さんを通じて剣道を頑張っていきたいと思いますっw
ところで、お願いなんですが
ココのホ−ムペ−ジに現役学生さんの写真のコ−ナ−などをつくってもらえると
もっとA面白くなると思うんです。
だから、もっと剣道をしている写真などを載せていって下さい↓
お願いしますww
楽しみにしています^^
こんにちは 投稿者: ケンドー娘。V 投稿日:11月23日(火)20時02分24秒
ここのホームページいつも見ています!関大一中・一高の皆さん、OBの皆さん剣道頑張って下さい!自分も頑張ります!!!
初めまして★ 投稿者: ケンドー娘。U 投稿日:11月20日(土)18時33分11秒
私もケンドー娘。さんと一緒でココのHP
大好きです★現役学生さん、OB会の皆さん、
私はこれからも関大一中・一高剣道部を応援して
いきますんでがんばってください!!!
最高っ!! 投稿者: ケンド−娘。 投稿日:11月15日(月)18時40分31秒
いつも楽しみながら見ています*^-^*
ココのホ−ムペ−ジ大好きです。
これからも、がんばってください★★★
OB総会 投稿者: 昭和43年卒安藤 投稿日:10月20日(水)11時10分58秒
剣友会幹事原田さん、11月14日(日)のOB総会と稽古会の案内受け取りました。毎度手数をかけて大変と思います。感謝申し上げます。当日多くの皆様方に会えることを期待しております。